・・・こういう心事をもって、私はみずからを第一の種類の芸術家らしく装うことはできない。装うことができないとすれば、勢い「宣言一つ」で発表したようなことを言わねばならぬのは自然なことである。「宣言一つ」には、できるだけ平面的にものを言ったつもりだが・・・ 有島武郎 「広津氏に答う」
・・・近来の快心事、類少なき奇観なり。 昔より言い伝えて、随筆雑記に俤を留め、やがてこの昭代に形を消さんとしたる山男も、またために生命あるものとなりて、峰づたいに日光辺まで、のさのさと出で来らむとする概あり。 古来有名なる、岩代国会津の朱・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・しかしよくその心事に立ち入って見れば、憐むべき同情すべきもの多きを見るのである。 おとよさんが隣に嫁入ったについては例の媒妁の虚偽に誤られた。おとよさんの里は中農以上の家であるに隣はほとんど小作人同様である。それに清六があまり怜悧でなく・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・この快楽を目して遊戯的分子というならば、発明家の苦辛にも政治家の経営にもまた必ず若干の遊戯的分子を存するはずで、国事に奔走する憂国の志士の心事も――無論少数の除外はあるが――後世の伝記家が痛烈なる文字を陳ねて形容する如き朝から晩まで真剣勝負・・・ 内田魯庵 「二葉亭四迷」
・・・が、同時に入露以前から二、三の露国革命党員とも交際して渠らの苦辛や心事に相応の理解を持っていても、双手を挙げて渠らの革命の成功を祝するにはまた余りに多く渠らの陰謀史や虐殺史を知り過ぎていた。 二葉亭の頭は根が治国平天下の治者思想で叩き上・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・ というが如きは、却って、其の親達の心事をば悲しまずにいられません。 かゝる無理な場合でも、子供は、母親に対し、不明な教師に対して、抗議する何等の力を持っていない。それ故に母親が自から改めなければ、強権の力を頼んでも試験勉強の如きを廃し・・・ 小川未明 「お母さんは僕達の太陽」
・・・街頭に立って大衆に呼びかけ、政治を批判し、当局に対決をいどみ、当時の精神文化指導階級を責め鞭った心事が身に近く共感されるのを覚える。 今日の日本の現状は日蓮の時代と似たおもむきはないであろうか。 われわれは現在の政治的権力、経済的支・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・かえって否定するものの心事が疑われてならない。(衆生済度傍に千万巻の経典を積んでも、自分の知識は「道徳の底に自己あり」という一言でこれを斥ける勇気を持っている。而してこの知識が私をして普通道徳の前に諦めをつけさせる、しかたがないと思わせる。・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・不順を始めとして、以下憤怒怨恨誹謗嫉妬等、あらん限りの悪事を書並べて婦人固有の敗徳としたるは、其婦人が仮令い之を外面に顕わさゞるも、心中深き処に何か不平を含み、時として之を言行に洩らすことありとて、其心事微妙の辺を推察したるものならんか。若・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・人あるいはこの諸件の変革を見て、その原因を王政維新の一挙に帰し、政府をもって人事百般の源となし、その心事の目的を政府の一方に定めて、他をかえりみざる者多しといえども、余輩の考には政府もまた、ただ人事の一部分にして、その旧政府を改めて新政府を・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
出典:青空文庫