・・・兎に角、私の心の驚きは今日まで自分の胸に描いて来た芭蕉の心像を十年も二十年も若くした。云々。」 露伴の文章がどうのこうのと、このごろ、やかましく言われているけれども、それは露伴の五重塔や一口剣などむかしの佳品を読まないひとの言うことでは・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・ 作者の本当の顔を知っている場合には、歌によって呼び出される作者の心像の顔は無論ちゃんと始めから与えられたものである。それにもかかわらず、作者によってはその心像の顔が非常に近く明瞭に浮ぶのと、なんだか遠い処にぼんやり霞を隔てて見るように・・・ 寺田寅彦 「宇都野さんの歌」
・・・この際にたとえば青竹送り筒にささげと女郎花と桔梗を生けるとして、これらの材料の空間的モンタージュによって、これらの材料の一つ一つが単独に表現する心像とは別に、これらのものを対合させることによってそこに全く別なものが生じて来る。エイゼンシュテ・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・しかしそれよりも大切なことは、映画の写し出す視覚的影像の喚起する実感の強度が、文字の描き出す心像のそれに比較して著しく強いという事実がこの差別を決定する重要な因子になるのではないかと思われる。 忠犬の死を「読む」だけならば、美しい感傷を・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・その一つは心理的な側からするものであって、それは、暗示の力により、自分の期待するものの心像をそれに類似した外界の対象に投射するという作用によって説明される。枯れ柳を見て幽霊を認識する類である。もう一つの答解は物理的あるいはむしろ生理的音響学・・・ 寺田寅彦 「疑問と空想」
・・・青い芋虫と真紅の肉片、家鴨と眇目の老人では心像の変形が少しひど過ぎるが、しかしこの偶然な一と朝の経験から推して考えてみるとフロイドの「夢判断」の学説も、そのことごとくが全くの故事付けではないかもしれないという気がして来るのである。 ・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
・・・しかし、どんな式服を着ていたかと聞かれると、たった今見て来たばかりの花嫁の心像は忽然として灰色の幽霊のようにぼやけたものになってしまう。「あなたの懐中時計の六時の所はどんな数字が書いてありますか」と聞いてみると、大概の人はちょっと小首を・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
一 地震の概念 地震というものの概念は人々によってずいぶん著しくちがっている。理学者以外の世人にとっては、地震現象の心像はすべて自己の感覚を中心として見た展望図に過ぎない。震動の筋肉感や、耳に聞こゆる破壊的の音響や、眼に見える物・・・ 寺田寅彦 「地震雑感」
・・・で読めばただ一目で土地の高低起伏、斜面の緩急等が明白な心像となって出現するのみならず、大小道路の連絡、山の木立ちの模様、耕地の分布や種類の概念までも得られる。 自分は汽車旅行をするときはいつでも二十万分一と五万分一との沿線地図を用意して・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
夏休みが終って残暑の幾日かが続いた後、一日二日強い雨でも降って、そしてからりと晴れたような朝、清冽な空気が鼻腔から頭へ滲み入ると同時に「秋」の心像が一度に意識の地平線上に湧き上がる。その地平線の一方には上野竹の台のあの見窄・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
出典:青空文庫