・・・そちの心底はわかっている。そちのしたことは悪いことかも知れぬ。しかしそれも詮ないことじゃ。ただこの後は――」 治修は言葉を終らずに、ちらりと三右衛門の顔を眺めた。「そちは一太刀打った時に、数馬と申すことを知ったのじゃな。ではなぜ打ち・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・私たちは、今日まで真底から、互に愛し合って居りました。しかし世間はそれを認めてくれません。閣下、世間は妻が私を愛している事を認めてくれません。それは恐しい事でございます。恥ずべき事でございます。私としては、私が妻を愛している事を否定されるよ・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・ 心底のことである。はぐらかすとは様子にも見えないから、若い女中もかけ引きなしに、「旦那さん、お気に入りまして嬉しゅうございますわ。さあ、もうお一つ。」「頂戴しよう。なお重ねて頂戴しよう。――時に姐さん、この上のお願いだがね、…・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・のっそり子の省作も、おとよさんの親切には動かされて真底からえい人だと思った。おとよさんが人の妻でなかったらその親切を恋の意味に受けたかもしれないけれど、生娘にも恋したことのない省作は、まだおとよさんの微妙なそぶりに気づくほど経験はない。・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・しかしながら真底からおぼこな二人は、その吉野紙を破るほどの押がないのである。またここで話の皮を切ってしまわねばならぬと云う様な、はっきりした意識も勿論ないのだ。言わば未だ取止めのない卵的の恋であるから、少しく心の力が必要な所へくると話がゆき・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・浮気の恋ならば知らぬこと、真底から思いあった間柄が理屈で諦められるはずがない。たやすく諦めるくらいならば恋ではない。 おとよは意志の強い人だ。強い意志でわが思いを抑えている。いくら抑えてもただ抑えているというだけで、決して思いは消えない・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・人憂うという顔をしたり、文壇を指導したり、文壇に発言力を持つことを誇ったり、毒舌をきかせて痛快がったり、他人の棚下しでめしを食ったり、することは好まぬし、関西に一人ぽっちで住んで文壇とはなれている方が心底から気楽だと思う男だが、しかし、文壇・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・べき功名をも成し得ず、同輩は侯伯たり後進は子男たり、自分は田舎の老先生たるを見、かつ思う毎にその性情は益々荒れて来て、それが慣い性となり遂には煮ても焼ても食えぬ人物となったのである、であるから老先生の心底には常に二個の人が相戦っておる、その・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・たとえ聟殿心底は不足にしても、それでも腹なりが治まらぬとは得云うまい。代りに遣る品が立派なものなら、却って喜んで恐縮しようぞ。分ったろう。……帰って宜う云え。」 話すに明らさまには話せぬ事情を抱いていて、笛の事だけを云ったところを、斯様・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・あれを遊ばせてやるのだと心得れば好かれぬまでも嫌われるはずはござらぬこれすなわち女受けの秘訣色師たる者の具備すべき必要条件法制局の裁決に徴して明らかでござるとどこで聞いたか氏も分らぬ色道じまんを俊雄は心底歎服し満腹し小春お夏を両手の花と絵入・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
出典:青空文庫