・・・ こんな心弱いものに留守をさせて、良人が漁る海の幸よ。 その夜はやがて、砂白く、崖蒼き、玲瓏たる江見の月に、奴が号外、悲しげに浦を駈け廻って、蒼海の浪ぞ荒かりける。明治三十九年年一月・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・優雅、温柔でおいでなさる、心弱い女性は、さような狼藉にも、人中の身を恥じて、端なく声をお立てにならないのだと存じました。 しかし、ただいま、席をお立ちになった御容子を見れば、その時まで何事も御存じではなかったのが分って、お心遣いの時間が・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ 辻町は、かくも心弱い人のために、西班牙セビイラの煙草工場のお転婆を羨んだ。 同時に、お米の母を思った。お京がもしその場に処したら、対手の工女の顔に象棋盤の目を切るかわりに、酢ながら心太を打ちまけたろう。「そこへ掛けると平民の子・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・母君はふるえた声で、「みんな私の心弱いためにね――ほんとうに大変なことになってしまった。そうわかった時に私が口をきいて早くまとめてしまえばよかったものを、ほんとうに……かんにんして御呉れ」 こんなことを云って母君は今更のように涙をな・・・ 宮本百合子 「錦木」
・・・場合によって非常に悲惨な境遇に陥った罪人とその親類とを、特に心弱い、涙もろい同心が宰領してゆくことになると、その同心は不覚の涙を禁じ得ぬのであった。 そこで高瀬舟の護送は、町奉行所の同心仲間で不快な職務としてきらわれていた。 ・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
出典:青空文庫