・・・今日中に心当りを尋ねて置いて見ますから。」 番頭はとにかく一時逃れに、権助の頼みを引き受けてやりました。が、どこへ奉公させたら、仙人になる修業が出来るか、もとよりそんな事なぞはわかるはずがありません。ですから一まず権助を返すと、早速番頭・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・もっともこりゃ気兼ねをするのも、無理はないと思ったから、じゃどこかにお前さんの方に、心当りの場所でもありますかって尋ねると、急に赤い顔をしたがね。小さな声で、明日の夕方、近所の石河岸まで若旦那様に来て頂けないでしょうかと云うんだ。野天の逢曳・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ じゃらんとついて、ぱっちりと目を開いた。が、わが信也氏を熟と見ると、「おや、先生じゃありませんか、まあ、先生。」「…………」「それ……と、たしか松村さん。」 心当りはまるでない。「松村です、松村は確かだけれど、あや・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・私もまだほかにも心当りがあるから、その方へも談して見ましょう。今度のもそれは悪くはないけど何しろ船乗りという商売はあぶない商売ですからね、それにどこか気風の暴ッぽい者ですから、お仙ちゃんのようなおとなしい娘には、もう少しどうかいう人の方がと・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・「ところが、全然心当りがないんです。荒神口なんて一度も聴いたことがないんです」「しかし、おかしいですね。荒神口に心当りがあれば、たぶんそこで待っておられるわけでしょうが、そうでないとすれば、駅で待っておられるんでしょうね。しかしスグ・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・といって、ほかに心当りもなく、自然あの人の足はうかうかと下鴨なら下鴨へ来てしまう。けれど、門をくぐる気はせず、暫らく佇んで引きかえし、こんどはもう一方の鹿ヶ谷まで行く。下鴨から鹿ヶ谷までかなりの道のりだが、なぜだか市電に乗る気はせず、せかせ・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・「お心当りありますのン?」「まず、買うて来るより仕方がない。闇市……っていうのか、復員したばかりでよくは知らんが、そこへ行ったら売ってるんじゃないかな。金さえあれば、何でもあるってことだそうだから」「でも、そんなお金……」「・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・自分に対して甚しく憎悪でもしているかとちょっと感じたが、自分には何も心当りも無い。で、「どうかなさいましたか。」と訊く。返辞が無い。「気色が悪いのじゃなくて。」とまた訊くと、うるさいと云わぬばかりに、「何とも無い。」・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・何か、お心当りは在る筈なんですね。 ――心当り? ――相手の女学生を、ご存じなんですね。 ――相手の? ――いいえ、奥さんの相手です。失礼いたしました。奥さんの決闘の相手です。お互い紳士ですものね。 ――存じて居ります。・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・「でも、僕は心当りないですよ。」「ええ、そんなに急ぐのでないから、心掛けて置いて下さいまし。あのう、私、名刺があるんですけれど、」袂から、そそくさと小さい名刺を出した。「裏に、ここの住所も書いて置きましたから、もし、適当のかたが見つ・・・ 太宰治 「鴎」
出典:青空文庫