・・・ ところがお前は欠勤で、寮にも帰って来ないし、森ちゃんも心当りが無いと言うし、とにかくきょうは三鷹へ行って見ろ。ただ事でないような兄さんの口調だったぜ。」 鶴は、総毛立つ思いである。「ただ、来いとだけ言ったのか。他には、何も?」・・・ 太宰治 「犯人」
・・・ 階段の花売りについてはどうも心当たりがない。しかしことによると前日新宿の百貨店で造花の売り場の前を通ったときの無意識の印象が無意識な過程を通じてこれに関係しているのかもしれない。 法事の場面については心当たりがある。前夜の夕刊に青・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・との前置をおいての問わず語りに、その日雪ちゃんはどうかして主婦に叱られ、そのまま家を出てすべて帰って来ぬ故これから心当りへ尋ねて行かねばならぬとの事であった。その夕方親類のおばさんにつれられて帰って来たとばかり、その上の事情はさらに知る事が・・・ 寺田寅彦 「雪ちゃん」
・・・次に助手の出てくるのも心当りがある。この友人には理工科方面の友達は少なくて主に自分からそうした方面の話を聞くのであるが、その私がこの頃は自身ではあまり器械いじりはしないで主に助手の手を借りて色々の仕事をやっていることをこの友人が時々の話の折・・・ 寺田寅彦 「夢判断」
・・・一体どうしたてんだろう。心当りがつかないかい。頬肉なんかあんまり減った。おまけにショウルダアだって、こんなに薄くちゃなってない。品評会へも出せぁしない。一体どうしたてんだろう。」 助手は唇へ指をあて、しばらくじっと考えて、それからぼんや・・・ 宮沢賢治 「フランドン農学校の豚」
・・・すると所長はまだわたくしの顔付きをだまってみていましたが、「心当りがあるか。」と云いました。「はい、ございます。」わたくしはまっすぐ両手を下げて答えました。 所長は安心したようにやっと顔つきをゆるめて、ちらっと時計を見上げました・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・このことは、皆が、不幸とか災難とかについては、その種類もその数の多さも大抵は知っていて、災難というと立ちどころに、ああと思うめいめいの心当り、危惧さえ日常生活の裡には存在しているという我々の現実を語っている。前線に愛する誰彼を出しているよう・・・ 宮本百合子 「幸運の手紙のよりどころ」
・・・自分は、金のことを云わなければ半年経とうが帰さないと脅かされて、放ぽり込んで置かれるのであるが、その学生と自分の金の問題とが妙に連関しているようで、しかも心当りもなく、結局、どこの誰がどう清算しようと、知らない事は知らない事だと、腰を据える・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・弁護士の事も心当りを調べましょう。弁護士については御意見を直接におきき出来て大変よかったと思います。信吉叔父上は少し考えちがいをして私にお話しになっていました。 二月は短い月だのに小説を『中央公論』にかかねばなりません。お正月の間は格子・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・「今急に心当りと云っても私も困るけれど……貴女どこか当って御覧になって? ×さんの助手をしていらしった経験や縁故で記者か何かないこと?」「ええ、先生の御紹介で××堂の×さんが×へ紹介して下さいました」「駄目でしたの?」「あす・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
出典:青空文庫