・・・ もとから気の優しい省作は、おはまの心根を察してやれば不愍で不愍で堪らない。さりとておとよにあられもない疑いをかけられるも苦しいから、「おとよさん決して疑ってくれな、おはまには神かけて罪はないです。こんなつまらん事をしてくれたものの・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・と、そのやさしい、情の深い、心根を哀れに思ったのであります。 また、つぎの、つぎの年も、夏になると、一ぴきの大きなこうもりが、多くのこうもりを率いてきて、りんご畑の上を毎晩のように飛びまわりました。そして、りんごには、おかげで悪い虫がつ・・・ 小川未明 「牛女」
・・・こうした男にいつまでも義理立てしている嫁の心根が不憫にも考えられた。「自家では女は皆しっかり者だけれど、男は自堕落者揃いだ。姨にしても嫂にしても。……私だってこれで老父さんには敗けないつもりだからねえ」……「向家の阿母さんが木村の婆さん・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・何ぞその心根の哀しさや。会い度くば幾度にても逢る、又た逢える筈の情縁あらば如斯な哀しい情緒は起らぬものである。別れたる、離れたる親子、兄弟、夫婦、朋友、恋人の仲間の、逢いたき情とは全然で異っている、「縁あらばこの世で今一度会いたい」との願い・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・けれども、相手の心根を読んで掛引をすることばかりを考えている商人は、すぐ、その胸の中を見ぬいた。そしてそれに応じるような段取りで話をすすめた。彼は戦争をすることなどは全然秘密にしていた。 十五分ばかりして、彼は、二人の息子を馭者にして、・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・あとで少しずつ私にも気がついて来たのでございますが、この婆と娘は、ほんとうの親子で無いようなところもあり、何が何やら、二人とも夜鷹くらいまで落ちた事があるような気配も見え、とにかくあまり心根が悪すぎてみんなに呆れられ捨てられ、もういまでは誰・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・こういうものを供えて星を祭った昔の女の心根には今の若い婦人たちの胸の中のどこを捜してもないような情緒の動きがあったのではないかという気もするのである。 今の娘たちから見ると、眉を落とし歯を涅めた昔の女の顔は化け物のように見えるかもしれな・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ 飯事を忘れかぬる優しい心根よ。 一人行く旅路の友と人形を抱くしおらしさよ。我妹、雪白の祭壇の上に潔く安置された柩の裡にあどけないすべての微笑も、涙も、喜びも、悲しみも皆納められたのであろうか。永久に? 返る事なく? 只一度の微・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・分の子をつれて行く黒馬車を待ちながら堪えられぬ怖れに迫られて居る様に、時々土間に下りては、暗い中を、遠い門の方をながめてぼんやり立ちくらして居るのを見ると、女親の様に、涙も気ままにこぼせない意地で保つ心根が、何かやさしい言葉をかけて、なぐさ・・・ 宮本百合子 「黒馬車」
・・・心ある人々は、死んで、抗議の云えない人の墓を、生前好かれていなかったと知っている者が、今こそと自分の生得の力をふるってこしらえた心根をいやしんだ。そして、漱石を気の毒に思った。その墓は、まるで、どうだ、何か云えるなら云ってみろ、と立っている・・・ 宮本百合子 「行為の価値」
出典:青空文庫