・・・ものを云う事を覚えるのが普通より遅く、そのために両親が心配したくらいで、大きくなってもやはり口重であった。八、九歳頃の彼はむしろ控え目で、あまり人好きのしない、独りぼっちの仲間外れの観があった。ただその頃から真と正義に対する極端な偏執が目に・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・それなら何も心配することはねい。どんな大将だって初めは皆な少尉候補生から仕上げて行くんだから、その点は一向差閊えない。十分やって行けるようにするからと云うんで、世帯道具や何や彼や大将の方から悉皆持ち込んで、漸くまあ婚礼がすんだ。秋山さんは間・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・ 深水が、これも人はいい、のみこみ屋の単純さで、「――こないだ、きみのおっかさんに逢ったときも、心配してござらっしゃった。三吉が東京へゆくと申しますが、あれに出てゆかれたらあとが困りますなんてなぁ、きみも長男だからね」 などとい・・・ 徳永直 「白い道」
・・・しかしそれはまずそれとして何もそんなに心配せずとも或種類の芸術に至っては決して二宮尊徳の教と牴触しないで済むものが許多もある。日本の御老人連は英吉利の事とさえいえば何でもすぐに安心して喜ぶから丁度よい。健全なるジョン・ラスキンが理想の流れを・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・余はしゅっと云う音と共に、倏忽とわれを去る熱気が、静なる京の夜に震動を起しはせぬかと心配した。「遠いよ」と云った人の車と、「遠いぜ」と云った人の車と、顫えている余の車は長き轅を長く連ねて、狭く細い路を北へ北へと行く。静かな夜を、聞かざる・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
・・・僕は人の前に出る毎に、この反対衝動の発作が恐ろしく、それの心配と制止観念とで、休む間もなく心を疲らし、気を張りきって居らねばならぬ。その苦しさと苛だたしさとは、到底筆紙に説明することが出来ないのである。しかも表面はさりげなく、普通に会話して・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・ セコンドメイトは、私が頭を抱えて濡れた海苔見たいに、橋板にへばりついているのを見て、「いくらか心配になって」覗き込みに来るだろう。「どうしたんだ、オイ、しっかりしろよ。ほんとに歩けないのかい」と、私の顔を覗き込みに来るだろう。そして、・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・私も心配した甲斐があるというものだ。実にありがたかッた」 吉里は半ば顔を上げたが、返辞をしないで、懐紙で涙を拭いている。「他のことなら何とでもなるんだが、一家の浮沈に関することなんだから、どうも平田が帰郷ないわけに行かないんでね、私・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・或は戸外の業務は内事に比して心労大なり、其成跡も又大なりなど言わんかなれども、夫の病に罹りたるとき妻が看病する其心配苦労は果して大ならざるか、妊娠十箇月の苦しみを経て出産の上、夏の日冬の夜、眠食の時をも得ずして子を育てたる其心労は果して大な・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・なに、それは別に心配しなくてもいい。もちろん髪の毛は大ぶ薄くなって、顔のそこここに皺が出来たが、その填合せにはあの時のようにはにかみはしない。それから立居振舞も気が利いていて、風采も都人士めいている。「それに第一流の大家と来ている」と、オオ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
出典:青空文庫