・・・温泉へ来たのかという意味のことを訊かれたので、そうだと答えると、もういっぺんお辞儀をして、「お疲れさんで……」 温泉宿の客引きだった。頭髪が固そうに、胡麻塩である。 こうして客引きが出迎えているところを見ると、こんな夜更けに着く・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・と小僧は答えた。青森というのは耕吉の郷国だったので、彼もちょっと心ひかれて、どうした事情かと訊いてみる気になった。 小僧は前借で行っていた埼玉在の紡績会社を逃げだしてきたのだ。小僧は、「あまり労働が辛いから……」という言葉に力を入れて繰・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・ 彼女の答えは平然としていた。そして、この頃外国でこんなのが流行るというので、ミュルで作って見たのだというのである。あなたが作ったのかと、内心私は彼女の残酷さに舌を巻きながら尋ねて見ると、それは大学の医科の小使が作ってくれたというのであ・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・光代はただ受答えの返事ばかり、進んで口を開かんともせず。 妙なことを白状しましょうか。と辰弥は微笑みて、私はあなたの琴を、この間の那須野のほかに、まあ幾度聞いたとお思いなさる。という。またそのようなことを、と光代は逃ぐるがごとく前へ出で・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・と、私は何げなく答えましたが、様子の変であったことは別に言いませんでした。しかし政法の二人は顔を見合わして笑いました、声は出しません。そしてかごの上に結んである緋縮緬のくけ紐をひねくりながら、「こんな紐なぞつけて来るからなおいけない、露見の・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・かかる問いに対しては完全な答えは不可能である。何故ならこれに答えるためには、その場合の事情の十全な認識、行為のあらゆる結果の十全なる予測が必要であるが、かかる知見は神ならぬ人間には存しないからだ。かかる意味で、道徳上絶対に妥当な意志決定はあ・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・彼は答えた。「うそを云っちゃいかんぞ!」「うそじゃありません。」「どこへも行かずにそこに居ってくれ。もっと取調べにゃならんかもしれん。」 三 憲兵隊は、鉄道線路のすぐ上にあった。赤い煉瓦の三階建だった。・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・と夫が優しく答えたことなどは、いつの日にも無いことではあったが、それでも夫は神経が敏くて、受けこたえにまめで、誰に対っても自然と愛想好く、日々家へ帰って来る時立迎えると、こちらでもあちらを見る、あちらでもこちらを見る、イヤ、何も互にワザ・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・とはっきりと答えた。裁判長は苦りきった顔をした。妹はそして椅子に坐る拍子に、何故か振りかえって、お母さんの顔をちらッと見た。母は後で、その時はあ――あ、失敗ったと思ったと、元気のない顔をして云っていた。横に坐っていた上田の母が、「まア、まア・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・言えば、あるある島田には間があれど小春は尤物介添えは大吉婆呼びにやれと命ずるをまだ来ぬ先から俊雄は卒業証書授与式以来の胸躍らせもしも伽羅の香の間から扇を挙げて麾かるることもあらば返すに駒なきわれは何と答えんかと予審廷へ出る心構えわざと燭台を・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
出典:青空文庫