出典:gooニュース
応仁の乱で敗れた武将がたどり着いた土地…生家を守りつつログハウスで生活 山奥の“ポツンと一軒家”
室町時代、応仁の乱で敗れた武将が命からがらたどり着いた地で、当時から550年以上続く土地だという。敷地内には、その武将を祀る神社があり、今も残る夫の生家は築120年。
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述作時期は、応仁の乱後、細川氏が畠山政長の子孫や足利義視の子孫と同盟関係にあった時期となる。それは永正5年(1508)以後だ、ということになる。 ■応仁の乱の後も抗争は長く続いた 足利義視は西軍の主将だったから、大乱の終息後は子息の義稙とともに美濃斎藤氏のもとにいた。
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実写映画で代表的なところを挙げれば、『室町無頼』と同じく東映京都撮影所で制作された『新諸国物語 笛吹童子 第一部どくろの旗 第二部妖術の闘争 第三部満月城の凱歌』(54)の三部作は応仁の乱の直後が舞台。また、中村錦之助が主演を務めた『祇園祭』(68)も同じく応仁の乱のあとの農民たちの戦いが描かれている。
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