・・・散髪所と、うすいカアテンをへだて、洋風の応接間があり、二三人の人の話声が聞えて、私はその人たちをお客と見誤ったのである。 椅子に腰をおろすと、裾から煽風機が涼しい風を送ってよこして、私はほっと救われた。植木鉢や、金魚鉢が、要所要所に置か・・・ 太宰治 「美少女」
・・・ 三鷹駅から省線で東京駅迄行き、それから市電に乗換え、その若い記者に案内されて、先ず本社に立寄り、応接間に通されて、そうして早速ウイスキイの饗応にあずかりました。 思うに、太宰はあれは小心者だから、ウイスキイでも飲ませて少し元気をつ・・・ 太宰治 「美男子と煙草」
・・・食堂兼応接間のようなところへ案内された。細君は食卓に大きな笊をのせて青い莢隠元をむしっていた。 お茶を一杯よばれてから一緒に出かけて行った。とある町の小さな薬屋の店へ這入った。店には頭の禿げた肥った主人が居て、B君と二言三言話すと、私の・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・しかし、マダムもろ子の家の応接間で堅くなっていると前面の食堂の扉がすうと両方に開いて美しく飾られたテーブルが見える、あの部分の「呼吸」が非常によくできている。これは、映画に特有な「呼吸のおもしろみ」であって、分析的には説明のしにくいものであ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・ 年賀に行くと大抵応接間か客座敷に通されるのであるが、そうした部屋は先客がない限り全く火の気がなくて永いこと冷却されていた歴史をもった部屋である。這入って見廻しただけで既に胴ぶるいの出そうな冷たさをもった部屋である。置時計、銅像、懸物、・・・ 寺田寅彦 「新年雑俎」
一 蜂 私の宅の庭は、わりに背の高い四つ目垣で、東西の二つの部分に仕切られている。東側の方のは応接間と書斎とその上の二階の座敷に面している。反対の西側の方は子供部屋と自分の居間と隠居部屋とに三方を囲まれた・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・この六畳が普通の応接間で、八畳が居間兼書斎であったらしい。「朝顔や手ぬぐい掛けにはい上る」という先生の句があったと思う。その手ぬぐい掛けが六畳の縁側にかかっていた。 先生はいつも黒い羽織を着て端然として正座していたように思う。結婚してま・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・しばらくはそれを応接間へ出してあったが、後には縁側の外の盆栽台に置かれたままで、毎夜の霜にさらされていた。ベコニアはすっかり枯れて茎だけが折れた杉箸のようになり、蟹シャボの花も葉もうだったようにベトベトに白くなって鉢にへばりついている。アス・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
・・・そうして門に向かった洋風の大きな応接間の窓からはラジオの放送が騒然と流れだしていた。なるほどきょうは早慶野球戦の日であると思った。それから上野へ行って用を足して帰るまで、至るところにこの放送の騒音が追跡して来た。罪人を追うフュリーのごとく追・・・ 寺田寅彦 「野球時代」
・・・ 家は二階建で、下は広い応接間と食堂との二室である。その境の引戸を左右に明放つと、舞踏のできる広い一室になるようにしてあった。階上にはベランダを廻らした二室があって、その一は父の書斎、一つは寝室であるが、そのいずれからも坐ながらにして、・・・ 永井荷風 「十九の秋」
出典:青空文庫