・・・書生は始めて益軒を知り、この一代の大儒の前に忸怩として先刻の無礼を謝した。――こう云う逸事を学んだのである。 当時のわたしはこの逸事の中に謙譲の美徳を発見した。少くとも発見する為に努力したことは事実である。しかし今は不幸にも寸毫の教訓さ・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・(忸怩では書生流です、御案内。七左 その気象! その気象!撫子。出迎えんとして、ちょっと髷に手を遣り、台所へ下らんとするおりくの手を無理に取って、並んで出迎う。撫子 お帰り遊ばせ。村越 お客様に途中で逢ったよ。撫・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・自分としては非常に忸怩とした、冷汗を催される感じなんだが。――こうした悪虐な罪人がなお幾年かを続けねばならぬ囚人生活の中からただ今先生のために真剣な筆を走らしていますことは、何かしら深い因縁のあることと思います。ぶしつけな不遜な私の態度を御・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・今日、諸君のこの厚意に対して、心窃に忸怩たらざるを得ない。幼時に読んだ英語読本の中に「墓場」と題する一文があり、何の墓を見ても、よき夫、よき妻、よき子と書いてある、悪しき人々は何処に葬られているのであろうかという如きことがあったと記憶する。・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・ 現在のところでは上野の帝国図書館にしろ蔵書の量と種目とでは決して満足と云えないし、日比谷の市立図書館を、東亜の大首都東京市の代表図書館であると云わなければならないことには、些か忸怩たるものがありはしないだろうか。図書館へは学生のうちだ・・・ 宮本百合子 「実際に役立つ国民の書棚として図書館の改良」
・・・ 佐藤は黙って聴診してしまって、忸怩たるものがあった。「よく話して聞せて遣ってくれ給え。まあ、套管針なんぞを立てられなくて為合せだった」 こう云って置いて、花房は診察室を出た。 子が無くて夫に別れてから、裁縫をして一人で暮し・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
出典:青空文庫