・・・そうしてぷりぷり怒りながら、浅川の叔母に話して聞かせた。のみならず叔母が気をつけていると、その後も看護婦の所置ぶりには、不親切な所がいろいろある。現に今朝なぞも病人にはかまわず、一時間もお化粧にかかっていた。………「いくら商売柄だって、・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・彼はその騒ぎに眠られないのを怒り、ベッドの上に横たわったまま、おお声に彼等を叱りつけた、と同時に大喀血をし、すぐに死んだとか云うことだった。僕は黒い枠のついた一枚の葉書を眺めた時、悲しさよりもむしろはかなさを感じた。「なおまた故人の所持・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・それを聞くと父の怒りは火の燃えついたように顔に出た。「馬鹿なことを言うな。この大事なお話がすまないうちにそんな失礼なことができるものか」 と矢部の前で激しく彼をきめつけた。興奮が来ると人前などをかまってはいない父の性癖だったが、現在・・・ 有島武郎 「親子」
・・・痩馬は荷が軽るくなると鬱積した怒りを一時にぶちまけるように嘶いた。遙かの遠くでそれに応えた馬があった。跡は風だけが吹きすさんだ。 夫婦はかじかんだ手で荷物を提げながら小屋に這入った。永く火の気は絶えていても、吹きさらしから這入るとさすが・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・それでさえ怒り得ないで、悄々と杖に縋って背負って帰る男じゃないか。景気よく馬肉で呷った酒なら、跳ねも、いきりもしようけれど、胃のわるい処へ、げっそり空腹と来て、蕎麦ともいかない。停車場前で饂飩で飲んだ、臓府がさながら蚯蚓のような、しッこしの・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・れまでどうしていたんだか、まるで夢のようでと火花の散るごとく、良人の膚を犯すごとに、太く絶え、細く続き、長く幽けき呻吟声の、お貞の耳を貫くにぞ、あれよあれよとばかりに自ら恐れ、自ら悼み、且つ泣き、且つ怒り、且つ悔いて、ほとんどその身を忘るる・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・民さんを思うために神の怒りに触れて即座に打殺さるる様なことがあるとても僕には民さんを思わずに居られない。年をとっての後の考えから言えば、あアもしたらこうもしたらと思わぬこともなかったけれど、当時の若い同志の思慮には何らの工夫も無かったのであ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 怒りはしたものの、僕は涙がこぼれた。それとなく、ハンケチを出して目を拭きながら座敷を出た。出てからちょっとふり返って見たが、かの女は――分ったのか、分らないのか――突き放されたままの位置で、畳に左の手を突き、その方の袂の端を右の手で口・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・と、三人は、青い顔をして怒りました。 みんなは、意外なできごとに驚いて、三人をやっとのことでなだめました。「ちょうど、ここから見ると、あの太陽の沈む、渦巻く炎のような雲の下だ。その島に着くと、三人はひどいめにあった。朝から晩まで、獣・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・こんなものが食えるものかと、お君の変心を怒りながら、箸もつけずに帰ってしまった。そのことを夕飯のとき軽部に話した。 新聞を膝の上に拡げたままふんふんと聴いていたが、話が唇のことに触れると、いきなり、新聞がばさりと音を立て、続いて箸、茶碗・・・ 織田作之助 「雨」
出典:青空文庫