・・・するともうかなり遠くへ来たと思うときに、馬がふいに、口をきいて、「ウイリイさん、お腹が減ったら私の右の耳の後へ手をおあてなさい。のどがかわいたら私の左の耳の後をおさわりなさい。」と、人間の通りの言葉でこう言いました。ウイリイはびっくりし・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・今になって思って見ればね、お前さんはあの約束をおしの人を亭主に持った方が好かったかも知れないと思うわ。そら。あの時そういったのは、わたしが初めよ。勘忍してお遣りとそう云ったわ。あの事をまだ覚えていて。あの時お前さんがわたしの・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・ するとどこかで馬のいななくような声が聞こえたと思うと、放れ馬が行く手に走り出て道のまん中にたちふさがって鳴きました。その鳴き声に応ずる声がまた森の四方にひびきわたって、大地はゆるぎ、枝はふるい、石は飛びました。しかして途方にくれた母子・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・泣いて瞼が腫れると大変だと思う母親は、きびしく彼女を叱りました。が、涙は小言などには頓着してはいません。花婿は、友達と一緒に花嫁を見に来ました。神が、彼に供える犠牲の獣を選びに被来ったように、スバーを見に来た人を見ると、親達は心配とこわさで・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・家の者が、夏をよろこび海へ行こうか、山へ行こうかなど、はしゃいで言っているのを見ると、ふびんに思う。もう秋が夏と一緒に忍び込んで来ているのに。秋は、根強い曲者である。 怪談ヨロシ。アンマ。モシ、モシ。 マネク、ススキ。アノ裏ニハキッ・・・ 太宰治 「ア、秋」
・・・そのくせ人に取り入ろうと思うと、きっと取り入る。決して失敗したことがない。 この二人は大抵極まった隅の卓に据わる。そしてコニャックを飲む。往来を眺める。格別物を考えはしない。 用事があってこの店へ来ることはない。金貸しには交際がある・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・かれの胸にはこれまで幾度も祖国を思うの念が燃えた。海上の甲板で、軍歌を歌った時には悲壮の念が全身に充ち渡った。敵の軍艦が突然出てきて、一砲弾のために沈められて、海底の藻屑となっても遺憾がないと思った。金州の戦場では、機関銃の死の叫びのただ中・・・ 田山花袋 「一兵卒」
およそありの儘に思う情を言顕わし得る者は知らず/\いと巧妙なる文をものして自然に美辞の法に称うと士班釵の翁はいいけり真なるかな此の言葉や此のごろ詼談師三遊亭の叟が口演せる牡丹灯籠となん呼做したる仮作譚を速記という法を用いて・・・ 著:坪内逍遥 校訂:鈴木行三 「怪談牡丹灯籠」
・・・おれははっと思うと、がっかりしてその椅子に倒れ掛かった。ボオイが水を一ぱい持って来てくれた。 門番がこう云った。「いや、大した手数でございましたそうです。しかしまあ、万事無事に済みまして結構でございました。すぐに見付かればよろしいのでご・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・としての生立ちや、日常生活や、環境は多くの人の知りたいと思うところであろう。 それで私は有り合せの手近な材料から知り得られるだけの事をここに書き並べて、この学者の面影を朧気にでも紹介してみたいと思うのである。主な材料はモスコフスキーの著・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
出典:青空文庫