・・・ 母もおぼつかない挨拶だと思うような顔つきをしていたがさすがになお強いてとも言いかね、やがてやや傾いた月を見て、「夜も更けた。さらばおれはこれから看経しょうぞ。和女は思いのまにまに寝ねよ」 忍藻がうなずいて礼をしたので母もそれか・・・ 山田美妙 「武蔵野」
どこかで計画しているだろうと思うようなこと、想像で計り知られるようなこと、実際これはこうなる、あれはああなると思うような何んでもない、簡単なことが渦巻き返して来ると、ルーレットの盤の停止点を見詰めるように、停るまでは動きが・・・ 横光利一 「鵜飼」
・・・なんでもずっと遠くにある物を見ているかと思うように、空を見ていた。悲しげな目というでもない。真面目な、ごく真面目な目で、譬えば最も静かな、最も神聖な最も世と懸隔している寂しさのようだとでも云いたい目であった。そうだ。あの男は不思議に寂しげな・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・この手紙の慌てたような、不揃いな行を見れば見る程、どうも自分は死にかかっている人の所へ行くのではないかと思うような気がする。そこで気分はいよいよ悪くなる。弟は自分より七年後に、晩年の父が生ませた子である。元から余り気に入らない。なんだか病身・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・やがて二頭曳の馬車の轟が聞えると思うと、その内に手綱を扣えさせて、緩々お乗込になっている殿様と奥様、物慣ない僕たちの眼にはよほど豪気に見えたんです。その殿様というのはエラソウで、なかなか傲然と構えたお方で、お目通りが出来るどころではなく、御・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・自分はここにその個所を紹介することによって右の書に対する関心を幾分かでもそそりたいと思う。 中世の末にヨーロッパの航海者たちが初めてアフリカの西海岸や東海岸を訪れたときには、彼らはそこに驚くべく立派な文化を見いだしたのであった。当時・・・ 和辻哲郎 「アフリカの文化」
出典:青空文庫