・・・興奮が来ると人前などをかまってはいない父の性癖だったが、現在矢部の前でこんなものの言い方をされると、彼も思わずかっとなって、いわば敵を前において、自分の股肱を罵る将軍が何処にいるだろうと憤ろしかった。けれども彼は黙って下を向いてしまったばか・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ その性急な心は、或は特に日本人に於て著るしい性癖の一つではあるまいか、と私は考える事もある。古い事を言えば、あの武士道というものも、古来の迷信家の苦行と共に世界中で最も性急な道徳であるとも言えば言える。……日本はその国家組織の根底の堅く、・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・多い作の中には不快の感じを与えられるものもあるが、この不快は椿岳自身の性癖が禍いする不快であって、因襲の追随から生ずる不快ではない。この瑜瑕並び蔽わない特有の個性のありのままを少しも飾らずに暴露けた処に椿岳の画の尊さがある。 椿岳の画は・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ともすると自然の懐ろは偉大だとか、自然が美しいとかいって、それが自分とどうしたとかいうでもない、埒もない感想に耽りたがる自分の性癖が、今さらに厭わしいものにも思われだした。晩酌の量ばかりがだんだんと加わって行った。十円の金のほとんど半分は彼・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・理由はどうあろうとも、旗色の悪いほうに味方せずんばやまぬ性癖を私は有っている。私は或る日、三田君に向ってこう言った。「人間は真面目でなければいけないが、しかし、にやにや笑っているからといってその人を不真面目ときめてしまうのも間違いだ。」・・・ 太宰治 「散華」
・・・ 私は、泣きべその気持の時に、かえって反射的に相手に立向う性癖を持っているようです。 私はすぐ立って背広に着換え、私の方から、その若い記者をせき立てるようにして家を出ました。 冬の寒い朝でした。私はハンカチで水洟を押えながら、無・・・ 太宰治 「美男子と煙草」
・・・わたくしの健康、性癖、境遇、それらのものを思返して見ると、わたくしの身は世間一般の人のように、善良なる家庭の父となり得られるはずはないようである。 多病の親から多病ならざる子孫の生れいづる事はまず稀であろう。病患は人生最大の不幸であると・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・ その日その日に忘れられて行く市井の事物を傍観して、走馬燈でも見るような興味を催すのは、都会に生れたものの通有する性癖であろう。されば古老の随筆にして行賈の風俗を記載せざるものは稀であるが、その中に就いて、曳尾庵がわが衣の如き、小川顕道・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・一旦怒らせたら打っても突いてもいうことを聴くのではない。性癖は彼の父の遺伝である。だが甞て乱暴したということもなくてどっちかというと酷く気の弱い所のあるのは彼の母の気質を禀けたのであった。彼の兄も一剋者である。彼等二人は両親が亡くなって自分・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・元来こうした性癖の発芽は、子供の時の我がまま育ちにあるのだと思う。僕は比較的良家の生れ、子供の時に甘やかされて育った為に、他人との社交について、自己を抑制することができないのである。その上僕の風変りな性格が、小学生時代から仲間の子供とちがっ・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
出典:青空文庫