・・・――この温泉旅館の井菊屋と云うのが定宿を開けたのは、頭も、顔も、そのままの小一按摩の怨念であった。「あれえ。」 声は死んで、夫人は倒れた。 この声が聞えるのには間遠であった。最愛最惜の夫人の、消息の遅さを案じて、急心に草を攀じた・・・ 泉鏡花 「怨霊借用」
・・・けれども、未練と、執着と、愚癡と、卑劣と、悪趣と、怨念と、もっと直截に申せば、狂乱があったのです。 狂気が。」 と吻と息して、……「汽車の室内で隣合って一目見た、早やたちまち、次か、二ツ目か、少くともその次の駅では、人妻におなり・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・――またこの希望が、幽霊や怨念の、念願と同じ事でござりましての、この面一つを出したばかりで大概の方は遁げますで。……よくよくの名僧智識か、豪傑な御仁でないと、聞いてさえ下さりませぬ。――この老耄が生れまして、六十九年、この願望を起しましてか・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・(お雪や、これは嫉妬で狂死をした怨念と申しましてね、お神さんは突然袖を捲って、その怨念の胸の処へ手を当てて、ずうと突込んだ、思いますと、がばと口が開いて、拳が中へ。」 と言懸けました、声に力は籠りましたけれども、体は一層力無げに、幾・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ 二六時中、人間のような声を出して怨念が耳元で唆かす。 よくも、よくも、こげえな目さ会わせおったな! 今に見ろ! 大黒柱もっ返して、土台石から草あ生やしてくれっから! いても立ってもいられないような気持になったお石は、ほ・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫