・・・兼は勿論この下男の恋慕の心などは顧みなかった。のみならず人の悪い朋輩は、早くもそれに気がつくと、いよいよ彼を嘲弄した。吉助は愚物ながら、悶々の情に堪えなかったものと見えて、ある夜私に住み慣れた三郎治の家を出奔した。 それから三年の間、吉・・・ 芥川竜之介 「じゅりあの・吉助」
・・・しかもその声を聞く毎に、神魂たちまち恍惚として、恋慕の情自ら止め難し。さればとてまた、誰と契らんと願うにもあらず、ただ、わが身の年若く、美しき事のみなげかれ、徒らなる思に身を焦すなり」と。われ、その時、宗門の戒法を説き、かつ厳に警めけるは、・・・ 芥川竜之介 「るしへる」
・・・「……我常住於此 以諸神通力 令顛倒衆生 雖近而不見 衆見我滅度 広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心……」 白髪に尊き燈火の星、観音、そこにおはします。……駈寄って、はっと肩を抱いた。「お祖母さん、どうして今頃御経を誦むの。」・・・ 泉鏡花 「第二菎蒻本」
・・・ 九、恋慕の思なし。 十、物事に数奇好みなし。十一、居宅に望なし。十二、身一つに美食を好まず。十三、旧き道具を所持せず。十四、我身にとり物を忌むことなし。十五、兵具は格別、余の道具たしなまず。十六、道にあたっ・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・そういう蔭の御理解に気が附かず、ただもう王子さまやラプンツェルの恋慕の事ばかり問題にしている。まだ、いたらんようじゃ。わしは、ヴィクトル・ユーゴーの作品を、せがれにすすめられて愛読したものだが、あれはさすがに隅々まで眼がとどいている。かの、・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・もしも五月の微風のように爽かであったなら、そこに柔かな愛慾の実のなることは明かな物理である。しかし、ここの花園では愛恋は毒薬であった。もしも恋慕が花に交って花開くなら、やがてそのものは花のように散るであろう。何ぜなら、この丘の空と花との明る・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫