・・・ なんじを訴うる者と共に途に在るうちに、早く和解せよ。恐らくは、訴うる者なんじを審判人にわたし、審判人は下役にわたし、遂になんじは獄に入れられん。誠に、なんじに告ぐ、一厘も残りなく償わずば、其処を出づること能わじ。これあ、おれにも、もう・・・ 太宰治 「鴎」
・・・然れど之を罷めん。恐らくは人の我を見、われに聞くところに過ぎて我を思うことあらん。我は我が蒙りたる黙示の鴻大なるによりて高ぶることの莫からんために肉体に一つの刺を与えらる。即ち高ぶること莫からんために我を撃つサタンの使なり。われ之がために三・・・ 太宰治 「パウロの混乱」
・・・ わたしはこの劇場のなおいまだ竣成せられなかった時、恐らくは当時『三田文学』を編輯していた故であろう。文壇の諸先輩と共に帝国ホテルに開かれた劇場の晩餐会に招飲せられたことがあった。尋でその舞台開の夕にも招待を受くるの栄に接したのであった・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・政治を論じたり国事を憂いたりする事も、恐らくは貧家の子弟の志すべき事ではあるまい。但し米屋酒屋の勘定を支払わないのが志士義人の特権だとすれば問題は別である。 わたくしは教師をやめると大分気が楽になって、遠慮気兼をする事がなくなったので、・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・子規は今どこにどうして居るか知らない。恐らくは据えるべき尻がないので落付をとる機械に窮しているだろう。余は未だに尻を持って居る。どうせ持っているものだから、先ずどっしりと、おろして、そう人の思わく通り急には動かない積りである。然し子規は又例・・・ 夏目漱石 「『吾輩は猫である』中篇自序」
・・・だから保羅の説いた耶蘇教が、その実保羅自身の耶蘇教であつて、他のいかなる耶蘇教ともちがつてゐた――恐らくは耶蘇自身の耶蘇教ともちがつてゐた――と同じく、私の鑑賞によるところの雪舟は、私自身の雪舟であつて他のいかなる人々の見た雪舟とも差別され・・・ 萩原朔太郎 「装幀の意義」
・・・これ恐らくは蕪村の創めたるもの、暁台、闌更によりて盛んに用いられたるにやあらん。 句調は五七五調のほかに時に長句をなし、時に異調をなす、六七五調は五七五調に次ぎて多く用いられたり。花を蹈みし草履も見えて朝寐かな妹が垣根三味線・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・その秘密はまだ話されない。恐らくはいつまでたっても話さるる事はあるまい。かようの秘密がいくつとなくこの墓地の中に葬られて居るであろうと思うと、それを聞きたくもあるし、自分のも話したいが、話して後にもし生き還ると義理が悪いからやはり秘密にして・・・ 正岡子規 「墓」
・・・ 私はまた足もとの砂を見ましたらその砂粒の中にも黄いろや青や小さな火がちらちらまたたいているのでした。恐らくはそのツェラ高原の過冷却湖畔も天の銀河の一部と思われました。 けれどもこの時は早くも高原の夜は明けるらしかったのです。 ・・・ 宮沢賢治 「インドラの網」
・・・ この一年に二日しかない恐らくは太陽からも許されそうな休みの日を外では鳥が針のように啼き日光がしんしんと降った。嘉吉がもうひる近いからと起されたのはもう十一時近くであった。 おみちは餅の三いろ、あんのと枝豆をすってくるんだのと汁のと・・・ 宮沢賢治 「十六日」
出典:青空文庫