・・・「貴女でなくッて、お民さん、貴女は大恩人なんだもの。」「ええ? 恩人ですって、私が。」「貴女が、」「まあ! 誰方のねえ?」「私のですとも。」「どうして、謹さん、私はこんなぞんざいだし、もう十七の年に、何にも知らないで・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・とやっといったが、世馴れず、両親には甘やかされたり、大恩人に対し遠慮の無さ。 七兵衛はそれを莞爾やかに、「そら、こいつあ単衣だ、もう雫の垂るようなことはねえ。」 やがて、つくづくと見て苦笑い、「ほほう生れかわって娑婆へ出たか・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ それは、――そこは――自分の口から申兼ねる次第でありますけれども、私の大恩人――いえいえ恩人で、そして、夢にも忘れられない美しい人の侘住居なのであります。 侘住居と申します――以前は、北国においても、旅館の設備においては、第一と世・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・――「鷭は一生を通じての私のために恩人なんです。生命の親とも思う恩人です。その大恩のある鷭の一類が、夫も妻も娘も忰も、貸座敷の亭主と幇間の鉄砲を食って、一時に、一百二三十ずつ、袋へ七つも詰込まれるんでは遣切れない。――深更に無理を言って・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・欣弥 大恩人じゃないか、どうすれば可い。お友さん。白糸 恩人なんか、真ッ平です。私は女中になりたいの。欣弥 そんな、そんな無理なことを。撫子 太夫さん。姉さん、貴女は何か思違いをなすってね。白糸 ええ、お勝手を働こうと思・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・なければ沼南の高誼に対して済まぬから、年長者の義務としても門生でも何でもなくても日頃親しく出入する由縁から十分訓誡して目を覚まさしてやろうと思い、一つはYを四角四面の謹厳一方の青年と信じ切らないまでも恩人の顔に泥を塗る不義な人間とも思わなか・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・私はその人を命の恩人と思い、今は行方は判らぬが、もしめぐり会うことがあれば、この貯金通帳をそっくり上げようと名義も秋山にして、毎月十日に一円ずつ入れることにしたのです。十日にしたのはあの中之島公園の夜が八月十日だったのと、私の名が十吉だった・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・思えば、私の恩人である。 私にもっとも近しい、そして恩人である作家を、突如として失ってしまった、私はもう言うべきことを知らない。私としても非常に残念で痛惜やる方ないが、文壇としても残念であろう。しかし最も残念なのは、武田さんの無二の親友・・・ 織田作之助 「武田麟太郎追悼」
・・・ 兎も角も、お蔭さまで助かりますと、片肘に身を持たせて吸筒の紐を解にかかったが、ふッと中心を失って今は恩人の死骸の胸へ伏倒りかかった。如何にも死人臭い匂がもう芬と鼻に来る。 飲んだわ飲んだわ! 水は生温かったけれど、腐敗しては居なか・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・ 三十の年に恩人の無理じいに屈して、養子に行き、養子先の娘の半気違いに辛抱しきれず、ついに敬太郎という男の子を連れて飛びだしてしまい、その子は姉に預けて育ててもらう、それ以後は決して妻帯せず、純然たるひとり者で、とうとう六十余歳まで通し・・・ 国木田独歩 「二老人」
出典:青空文庫