・・・僕は室生犀生君と一しょに滝田君の家へ悔みに行った。滝田君は庭に面した座敷に北を枕に横たわっていた。死顔は前に会った時より昔の滝田君に近いものだった。僕はそのことを奥さんに話した。「これは水気が来ておりますから、……綿を含ませたせいもあるので・・・ 芥川竜之介 「滝田哲太郎君」
・・・ 僕は滝田君の訃を聞いた夜、室生君と一しょに悔みに行った。滝田君は所謂観魚亭に北を枕に横わっていた。僕はその顔を見た時に何とも言われぬ落莫を感じた。それは僕に親切だった友人の死んだ為と言うよりも、況や僕に寛大だった編輯者の死んだ為と言う・・・ 芥川竜之介 「滝田哲太郎氏」
・・・近所の人が悔みに来るとまずいから、そり落して髭を植えてやろう。それから体のほうも造らなきゃ……この棺を隣に持っていって……おいドモ又の弟、おまえそこで残ったのにサインをしろ。戸部を残し一同退場。戸部しきりとサインをしている。とも子花・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・平生愛想笑いをする癖が、悔やみ言葉の間に出るのをしいてかみ殺すのが苦しそうであった。近所の者のこの際の無駄話は実にいやであった。寄ってくれた人たちは当然のこととして、診断書のこと、死亡届のこと、埋葬証のこと、寺のことなど忠実に話してくれる。・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・家庭の不幸でもあるなら悔みの言葉のいいようもあるが、犬では何と言って慰めて宜いか見当が付かないので、「犬なんてものは何処かへ行ってしまったと思うと、飛んでもない時分に戻って来るもんだ。今に必と帰って来るよ、」といって見た。が、二葉亭は「イヤ・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・東京には親戚といって一軒もなし、また私の知人といっても、特に父の病死を通知して悔みを受けていいというほどの関係の人は、ほとんどないといってよかった。ほんの弟の勤めさきの関係者二三、それに近所の人たちが悔みを言いに来てくれたきりだった。危篤の・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・る、栄養である、生活である、之に依れば人は何処までも死を避け死に抗するのが自然であるかのように見える、左れど一面には亦た種保存の本能がある、恋愛である、生殖である、之が為めには直ちに自己を破壊し去って悔みない省みないのも、亦た自然の傾向であ・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・私だからと言って、さきでお悔みになるようなことは決してありません。」と親切に言ってくれました。夫婦は、もう乞食でも何でもかまわないと思って、一しょにお寺へいってもらいました。 坊さんは、じいさんに子どもの名前を聞きました。じいさんは名前・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・気のきいたお悔みの言葉ひとつ述べることができない。許したまえ。この男は、悲しいのだ。自身の無力がくやしいのだ。息子戦死の報を聞くや、つと立って台所に行き、しゃっしゃっと米をといだという母親のぶざまと共に、この男の悲しみの顛倒した表現をも、苦・・・ 太宰治 「緒方氏を殺した者」
・・・お葬式の翌る日、学校へ出たら、先生がたも、みんな私にお悔みを言って下さって、私はその都度、泣きました。お友達からも、意外のほどに同情され、私はおどおどしてしまいました。市ヶ谷の女学校に徒歩で通っていたのですが、あのころは、私は小さい女王のよ・・・ 太宰治 「誰も知らぬ」
出典:青空文庫