・・・お前はおれの言いつけに背いて、いつも悪事ばかり働いて来た。おれはもう今夜限り、お前を見捨てようと思っている。いや、その上に悪事の罰を下してやろうと思っている」 婆さんは呆気にとられたのでしょう。暫くは何とも答えずに、喘ぐような声ばかり立・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・この陀多と云う男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥坊でございますが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛が一匹、路ばたを這って行くのが見・・・ 芥川竜之介 「蜘蛛の糸」
・・・しかしこれは捨児を種に、悪事でもたくらむつもりだったのでしょう。よくよく問い質して見ると、疑わしい事ばかりでしたから、癇癖の強い日錚和尚は、ほとんど腕力を振わないばかりに、さんざん毒舌を加えた揚句、即座に追い払ってしまいました。「すると・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・ が、お敏の身になって見れば、いかに夢現の中で云う事にしろ、お島婆さんが悪事を働くのは、全く自分の云いつけ通りにするのですから、良心がなければ知らない事、こんな道具に使われるのは空恐しいのに相違ありません。そう云えば前に御話ししたお島婆・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・私の心は悪事でも働いたように痛かった。しかも事実は事実だ。私はその点で幸福だった。お前たちは不幸だ。恢復の途なく不幸だ。不幸なものたちよ。 暁方の三時からゆるい陣痛が起り出して不安が家中に拡がったのは今から思うと七年前の事だ。それは吹雪・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・そして、子供は生長して社会に立つようになっても、母から云い含められた教訓を思えば、如何なる場合にも悪事を為し得ないのは事実である。何時も母の涙の光った眼が自分の上に注がれて居るからである。これは架空的の宗教よりも強く、また何等根拠のない道徳・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・ 心の弱い者が悪事を働いた時の常として、何かの言訳を自分が作らねば承知の出来ないが如く、自分は右の遺失た人の住所姓名が解るや直ぐと見事な言訳を自分で作って、そして殆ど一道の光明を得たかのように喜こんだ。 一先拝借! 一先拝借して自分・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ しかし万一もし盗んでいたとすると放下って置いては後が悪かろうとも思ったが、一度見られたら、とても悪事を続行ることは得為すまいと考えたから尚お更らこの事は口外しない方が本当だと信じた。 どちらにしてもお徳が言った通り、彼処へ竹の木戸・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・直立不動の姿勢でもってそうお願いしてしまったので、商人、いいえ人違いですと鼻のさきで軽く掌を振る機会を失い、よし、ここは一番、そのくぼたとやらの先生に化けてやろうと、悪事の腹を据えたようである。 ――ははは。ま。掛けたまえ。 ――は・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・ほんとうにその人を尊敬しているならば、そんな不穏の行動も、あながち悪事とは言えまい、と私は、やはりまじめに言ったのであるが、学生は、こんどは、げらげら笑い出して、それほど尊敬している人は、日本の作家の中には無い、ゲエテとか、ダヴィンチのお弟・・・ 太宰治 「困惑の弁」
出典:青空文庫