・・・その問ははなはだ簡単でただ何方が善人で何方が悪人かと云うだけなんです。私から云えば何方も人間にはなっていない、善人にも悪人にもなっておらない。よしなっていたって、幼稚にしろ筋は子供の頭より込入っているからそう一口に判断を下してやる訳には行か・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・ しかし右のようにいえば、愚禿の二字は独り真宗に限った訳でもないようであるが、真宗は特にこの方面に着目した宗教である、愚人、悪人を正因とした宗教である。同じく愛を主とした他力宗であっても、猶太教から出た基督教はなお、正義の観念が強く、い・・・ 西田幾多郎 「愚禿親鸞」
・・・ある一派の倫理学者の如く行為の結果を以て善悪の標準とする者はお七を大悪人とも呼ぶであろう。この、無垢清浄、玉のようなお七を大悪人と呼ぶ馬鹿もあるであろう。けれどお七の心の中には賢もなく愚もなく善もなく悪もなく人間もなく世間もなく天地万象もな・・・ 正岡子規 「恋」
・・・ 命を奪われるほど悪人でなかった故人。むしろ弱点も人間的といえた故人。国鉄五十万人と運命をともにした故人。世間に暗い衝撃を与えることは、故人の望むところでなかったろう。自殺と直感した、といわれたときこそその人の妻らしい悲しみのありかたと・・・ 宮本百合子 「権力の悲劇」
・・・それをかえるために私達が集まってこういうようにお互いに話をいたしますけれども、人間性というものは徹底的な善人もありませんし、徹底的な悪人もないのです。もし徹底的な善人と徹底的な悪人しかないならば、この人類は一つの小説も書きません。なぜならば・・・ 宮本百合子 「幸福の建設」
・・・そうでないとしたら、社会主義者で芸術家である秋田雨雀さんが、大劇場の桜の園を観た一九二八年に漸く、ロパーヒンは悪人じゃありませんねえ、という興味ある評言を発されるようなことがどうして起ろう。築地はそんなに下手に演じたか? 否。例えば汐見の爺・・・ 宮本百合子 「シナーニ書店のベンチ」
・・・しかるに最初からの行きがかりを知っていてみれば、一族のものを悪人として憎むことは出来ない。ましてや年来懇意にした間柄である。婦女の身としてひそかに見舞うのは、よしや後日に発覚したとて申しわけの立たぬことでもあるまいという考えで、見舞いにはや・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・この色の青いやせ男が、その人の情というものが全く欠けているほどの、世にもまれな悪人であろうか。どうもそうは思われない。ひょっと気でも狂っているのではあるまいか。いやいや。それにしては何一つつじつまの合わぬことばや挙動がない。この男はどうした・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
・・・この青年の口走っていることは――「しかし、そんな武器を悪人に持たした日には、事だなア。」と梶は思わず呟いた。「そうですよ。監理が大変です。」「人類が滅んじまうよ。」「その武器を積んだ船が六ぱいあれば、ロンドンの敵前上陸が出来・・・ 横光利一 「微笑」
・・・しかも彼を悪人と呼び醜怪と呼ぶ者に対して彼は怒る。製作の上では価値を倒換しても、日常生活においてはその倒換を欲しない。 視点を製作にのみ限る時には、事情はやや異なって来る。この範囲でJは態度の純一を欠かない。彼は官能享楽にのみ価値を認め・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫