・・・現にその話をした時にも悪意のある微笑を浮かべながら、「やはり霊魂というものも物質的存在とみえますね」などと註釈めいたことをつけ加えていました。僕も幽霊を信じないことはチャックとあまり変わりません。けれども詩人のトックには親しみを感じていまし・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・私にはその顔全体が、ある悪意を帯びた嘲笑を漲らしているような気さえしたのである。「どうです、これは。」 田代君はあらゆる蒐集家に共通な矜誇の微笑を浮べながら、卓子の上の麻利耶観音と私の顔とを見比べて、もう一度こう繰返した。「これ・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・最後に青柿を投げつけられたと云うのも、猿に悪意があったかどうか、その辺の証拠は不十分である。だから蟹の弁護に立った、雄弁の名の高い某弁護士も、裁判官の同情を乞うよりほかに、策の出づるところを知らなかったらしい。その弁護士は気の毒そうに、蟹の・・・ 芥川竜之介 「猿蟹合戦」
・・・彼はいよいよ悪意のある運命の微笑を感じながら、待合室の外に足を止めた物売りの前へ歩み寄った。緑いろの鳥打帽をかぶった、薄い痘痕のある物売りはいつもただつまらなそうに、頸へ吊った箱の中の新聞だのキャラメルだのを眺めている。これは一介の商人では・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・が、日露戦争中の非戦論者に悪意を持たなかったのは確かにヒサイダさんの影響だった。 ヒサイダさんは五、六年前に突然僕を訪問した。僕が彼と大人同士の社会主義論をしたのはこの時だけである。(彼はそれから何か月もたたずに天城山しかし僕は社会主義・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・いささかでも監督に対する父の理解を補おうとする言葉が彼の口から漏れると、父は彼に向かって悪意をさえ持ちかねないけんまくを示したからだ。彼は単に、農場の事務が今日までどんな工合に運ばれていたかを理解しようとだけ勉めた。彼は五年近く父の心に背い・・・ 有島武郎 「親子」
・・・、努力するという限りでは、ここ数年間の軍官民はそれぞれ莫迦は莫迦なりに努力して来たのだが、その努力が日本を敗戦に導くための努力であった如く、日本の文壇の努力は日本の小説を貧困に導くための努力であった。悪意はなかったろうが、心境的私小説――例・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・戦争に出たは別段悪意があったではないものを。出れば成程人殺もしようけれど、如何してかそれは忘れていた。ただ飛来る弾丸に向い工合、それのみを気にして、さて乗出して弥弾丸の的となったのだ。 それからの此始末。ええええ馬鹿め! 己は馬鹿だった・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・赤剥きに剥いて言えば、世間に善意の奨励ほどウソのものは無い。悪意の非難がウソなら、善意の奨励もウソである。真実は意の無いところに在る。若崎は徹底してオダテとモッコには乗りたくないと平常思っている。客のこの言葉を聞くとブルッとするほど厭だった・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・なるほどこれは悪意で言ったのではなかったが、己を以て人を律するというもので、自分が遊びでも人も遊びと定まっている理はないのであった。公平を失った情懐を有っていなかった自分は一本打込まれたと是認しない訳には行かなかった。が、この不完全な設備と・・・ 幸田露伴 「蘆声」
出典:青空文庫