・・・なにか痛ましい気持がするではないか。悲劇の人をここに見るような気すらする。 その坂田のことを、私はある文芸雑誌の八月号に書いたのだ。その雑誌が市場に出てからちょうど一月が経とうとしているが、この一月私はなにか坂田に対して済まぬことをした・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・と一つ思い浮かべるとその悲劇の有様が目の先に浮んで来て、母やお光が血だらけになって逃げ廻る様がありありと見える。今蔵々々と母は逃げながら自分を呼ぶ、自分は飛び込んで母を助けようとすると、一人の兵が自分を捉えて動かさない……アッと思うとこの空・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・題して沙漠の悲劇というといえどもこれぞ、すなわちこの世の真相なるべきか。げにこのわれなき世こそ治子の眼にはかくも映るなるべし。しかしてわれはいかん、われはいかん。 青年は恋を想い、人の世を想い、治子を想い、沙漠を想い、ウォーシスを想い、・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・ 私は必ずしも悲劇的にという気ではない。しかし緊張と、苦悩と、克服とのないような恋は所詮浅い、上調子なものである。今日の娘の恋は日に日に軽くなりつつある。さかしく、スマートになりつつある。われらの祖先の日本娘はどんな恋をしたか、も少し恋・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・ しかしすべての結合がこういった純真な悲劇で終わるとはもとより限らない。ある者はやむなく、ある者は苦々しく、またある者は人生の知恵から別れなければならないのである。有名な「新生」の主人公は節子に数珠を与えるがやはり別れねばならなかった。・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・喜劇を書いても、諷刺文学を書いても、それで、人をおかしがらせたり、面白がらせたりする意図で書くのでは、下らない。悲劇になる、痛切な、身を以て苦るしんだ、そのことを喜劇として表現し、諷刺文学として表現して、始めて、価値がある。殊に、モリエール・・・ 黒島伝治 「愛読した本と作家から」
・・・が、あれだけ農民、農村を知りながら、かくまで農民が非人間的な生活に突き落され、さまざまな悲劇喜劇が展開する、そのよってくる真の根拠がどこにあるかを突きつめて究明し、摘発することが出来ないのは、反都市文学のらち内から少しも出なかった農民文学会・・・ 黒島伝治 「農民文学の問題」
・・・この男ひとりに限らず、芸術家というものは、その腹中に、どうしても死なぬ虫を一匹持っていて、最大の悲劇をも冷酷の眼で平気で観察しているものだ、と前回に於いても、前々回に於いても非難して来た筈でありますが、その非難をも、ちょっとついでに取り消し・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ ……見すぼらしい女の、出産にからむ悲劇。それには、さまざまの形態があるだろう。その女の、死なねばならなかったわけは、それは、私にもはっきりわからないけれども、とにかく、その女は、その夜半に玉川上水に飛び込む。新聞の都下版の片隅に小さく・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・そこには一期前の現代の青年の悲劇がありありと指すごとく見えている。で、そんな世間的のことは考えずに書こう。ロマンチックであろうが、センチメンタルであろうが、新しい思潮に触れていまいが、そんなことは考えずに書こう。こう決心して、それからK氏―・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
出典:青空文庫