・・・これはおそらく教授のドッペルゲンガーのようなもので、そうして未来の悲運の夢魔であり、眼前の不安の予覚である。これは監督苦心の産物かもしれないが、効果は遺憾ながらあまり上乗とは思われない。後日「モロッコ」を作る場合にはこの道化師までもみんない・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・そうしてかわいいわが子を折檻しなければならないわが身の悲運を客観するときにはじめて泣くことができるらしい。 芥川竜之介の小品に次のような例がある。 山道のトロッコにうっかり乗った子供が遠くまではこばれた後に車から降ろされただ一人取り・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ 聞くところによると、そのKという女優は、富豪の娘に生れ、当代の名優と云われるTKの弟子になってその芸名のイニシアルを貰い、花やかに売出したのであったが、財界の嵐で父なる富豪が没落の悲運に襲われたために、その令嬢なるKは今では自分の腕一・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・一旦嬌名ヲ都門ニ馳セシムルヤ気ヲ負フテ自ラ快トナシ縦令悲運ノ境ニ沈淪スルコトアルモ自ラ慚ヂテ待合ノ女中牛肉屋ノ姐サントナリ俗客ノ纏頭ニ依ツテ活ヲ窃ムガ如キモノハ殆一人モ有ルコトナカリキ。今ヤ人心ハ上下雅俗ノ別ナク僅ニ十年ニシテ全ク一変セリ。・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・その尺度に合せざる作家はことごとく落第の悲運に際会せざるを得ない。世間は学校の採点を信ずるごとく、評家を信ずるの極ついにその落第を当然と認定するに至るだろう。 ここにおいて評家の責任が起る。評家はまず世間と作家とに向って文学はいかなる者・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・ 民族的悲運に陥って居る国民が、生理的に優越国民を凌ぎ得ない事は、彼等の悲しめる魂の所産でございます。絶えざる不満、圧迫の下に束縛されて、嘆き悲しみつつ軈ては其にも馴れて無感覚に成った不幸な魂が、如何うして輝く肉体の所有者に成れますでし・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・それを、日本の知識人の悲運という風に主情的に語るだけでは、それ自体、その人たちも排撃している日本の文学精神の主情性であり、理性の譲歩ではなかろうか。 わたしたちは、よくよく思いおこさなければならない。かつて日本人民の運命が東條政府によっ・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
・・・ 中国、朝鮮、日本などのように、封建的な社会の風習と、資本主義社会の苛酷な婦人の労働力に対する搾取とが重なりあっているところでは、特に婦人のすべての重荷と悲運が、婦人問題としてだけでは解決されない。日本の社会そのものが、根本から変ってゆ・・・ 宮本百合子 「戦争はわたしたちからすべてを奪う」
・・・る五十男のクルベルが、安芝居のような身ぶり沢山で、而も婿の生計を支えてやらなくてはならぬ愚痴を並べ、借金の話、娘の持参金についての利子勘定のまくし立てるような計算と全く渾然結合して、道楽な良人のために悲運にある貞潔なユロ男爵夫人に厚顔な求愛・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
出典:青空文庫