・・・別れを御惜しみなすったのですか?」「二年の間同じ島に、話し合うた友だちと別れるのじゃ。別れを惜しむのは当然ではないか? しかし何度も手招ぎをしたのは、別れを惜しんだばかりではない。――一体あの時おれの所へ、船のはいったのを知らせたのは、・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・そして、夜になると彼らの一群は、しばらく名残を惜しむように、低く湖の上を飛んでいたが、やがて、Kがんを先頭に北をさして、目的の地に到達すべく出発したのであります。それは、星影のきらきらと光る、寒い晩のことでありました。・・・ 小川未明 「がん」
・・・ 私は青春をすごして、青春を惜しむ。そして青春が如何に人生の黄金期であったかを思うときにその幸福を惜しめとすすめたくなるのだ。そしてそれには童貞をなるだけ長く保つべきだ。 しかし何かの運命でそれをすでに失ってしまったものはやむを得な・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・それ故に青年時代に高く、美しい書物を読まずに逸することは恐るべく、惜しむべきことである。何をおいても、人間性の霊的・美的教養の書物は逸することを恐れて、より高く、より美しきものをと求めて読んでおかなければならないのである。 学術的、社会・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・ アパートに住み、超モダンな身なりをし、新しい職業をもって、生活の戦いをなしつつ、しかもみ仏であり得るありがたい法が開けているのに、それに面を背けるということは本当に惜しむべきことである。 信仰のないモダンガール、モダン婦人は多くは・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・ その晩は、お徳もなごりを惜しむというふうで、台所を片づけてから子供らの相手になった。お徳はにぎやかなことの好きな女で、戯れに子供らから腕押しでも所望されると、いやだとは言わなかった。肥って丈夫そうなお徳と、やせぎすで力のある次郎とは、・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・だけど僕には、なぜだか、お前ひとりを惜しむ気持があるんだ。惜しい。すき好んで、自分から地獄行きを志願する必要は無いと思うんだ。君のいまの気持くらい、僕だって知ってるさ。そりゃお前の百倍もそれ以上ものたくさんの女に惚れられたものだ。本当さ。し・・・ 太宰治 「女類」
・・・私には幼少の頃から浪費の悪癖があり、ものを惜しむという感覚は、普通の人に較べてやや鈍いように思っている。けれども、そのウイスキイは、謂わば私の秘蔵のものであったのである。昔なら三流品でも、しかし、いまではたしかに一流品に違いなかったのである・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・わが家の格子窓から、子供らが顔を出して、別れを惜しむ。ととさまえのう、と口々に泣いて父を呼ぶ。宗吾郎は、笠で自分の顔を覆うて、渡し舟に乗る。降りしきる雪は、吹雪のようである。 七つ八つの私は、それを見て涙を流したのであるが、しかし、それ・・・ 太宰治 「父」
・・・高尚の趣味を有する、極めて小人数の読者は、私の骨の固くなるのを、ひそかに惜しむにちがいない。それは、ありがとう。君は、いつでも優しかった。お達者で、いつまでもお達者で、暮していて下さい。けれども、私は、何もせず、このまま君に甘えては居られな・・・ 太宰治 「春の盗賊」
出典:青空文庫