・・・ 聞くがごとくんば、伯爵夫人は、意中の秘密を夢現の間に人に呟かんことを恐れて、死をもてこれを守ろうとするなり。良人たる者がこれを聞ける胸中いかん。この言をしてもし平生にあらしめば必ず一条の紛紜を惹き起こすに相違なきも、病者に対して看護の・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・三昼夜麻畑の中に蟄伏して、一たびその身に会せんため、一粒の飯をだに口にせで、かえりて湿虫の餌となれる、意中の人の窮苦には、泰山といえども動かで止むべき、お通は転倒したるなり。「そんなに解っているのなら、ちょっとの間、大眼に見ておくれ。」・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・幸い八田という意中人が、おまえの胸にできたから、おれも望みが遂げられるんだ。さ、こういう因縁があるんだから、たとい世界の金満におれをしてくれるといったって、とても謂うこたあ肯かれない。覚悟しろ! 所詮だめだ。や、こいつ、耳に蓋をしているな」・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・老爺も紅葉の枝を持って予とともにあがってくる。意中の美人はねんごろに予を戸口にむかえて予の手のものを受けとる。見かけによらず如才ない老爺は紅葉を娘の前へだし、これごろうじろ、この紅葉の美しさ、お客さまがぜひお嬢さんへのおみやげにって、大首お・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・お互いにそぶりに心を通わし微笑に意中を語って、夢路をたどる思いに日を過ごした。後には省作が一筋に思い詰めて危険をも犯しかねない熱しような時もあったけれど、そこはおとよさんのしっかりしたところ、懇に省作をすかして不義の罪を犯すような事はせない・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・も 君が忠孝の双全を得るに輸す 浜路一陣のこうふう送春を断す 名花空しく路傍の塵に委す 雲鬟影を吹いて緑地に粘す 血雨声無く紅巾に沁む 命薄く刀下の鬼となるを甘んずるも 情は深くして豈意中の人を忘れん 玉蕭幸ひに同名字あつて・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・復た例の癖が初まったナと思いつつも、二葉亭の権威を傷つけないように婉曲に言い廻し、僕の推察は誤解であるとしても、そうした方が君のための幸福ではない乎と意中の計画通りを実行させようとした。が、口を酸くして何と説得しても「ンな考は毛頭ない、」と・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・既に法律上故なく擅となってあるが、その方の意中を今一応尋ねよう。」「へい。その実は、あまり面白かったもんですから。へい。どうも相済みません。あまり面白かったんで。ケロ、ケロ、ケロ、ケロロ、ケロ、ケロ。」「控えろ。」「へい。全くど・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・ わたくしの意中にいわんと欲する一事があった。わたくしは紙を展べて漫然空車と題した。題しおわってなんと読もうかと思った。音読すれば耳に聴いて何事ともわきまえがたい。しからばからぐるまと訓もうか。これはいかにもなつかしくないことばであ・・・ 森鴎外 「空車」
・・・翁はこれに意中を打ち明けた。「亡くなった兄いさんのおよめになら、一も二もなく来たのでございましょうが」と言いかけて、ご新造は少しためらった。ご新造はそういう方角からはお豊さんを見ていなかったのである。しかしお父うさまに頼まれた上で考えてみれ・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫