・・・のお婆さんが平常あんなに見えていても、その娘を親爺さんには内証で市民病院へ連れて行ったり、また娘が寝たきりになってからは単に薬をもらいに行ってやったりしたことがあるということを、あるときそのお婆さんが愚痴話に吉田の母親をつかまえて話したこと・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・気軽の天稟にもあらず、いろいろ独りで考えた末が日ごろ何かに付けて親切に言うてくれるお絹お常にだけ明かして見ようとまずお絹から初めるつもりにてかくはふるまいしまでなり、うたてや吉次は身の上話を少しばかり愚痴のように語りしのみにてついにその夜は・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・と老母が漸と口を利たと思ったら物置の愚痴。真蔵は頭を掻いて笑った。「否、こういうことになったのも、竹の木戸のお蔭で御座いますよ、ですから私は彼処を開けさすのは泥棒の入口を作えるようなものだと申したので御座います。今となれゃ泥棒が泥棒の出・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・ この帰省中に日蓮は清澄山での旧師道善房に会って、彼の愚痴にして用いざるべきを知りつつも、じゅんじゅんとして法華経に帰するようにいましめた。日蓮のこの道善への弟子としての礼と情愛とは世にも美しいものであり、この一事あるによって私は日蓮を・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・またしても、おしかの愚痴が繰り返された。「うらア始めから、尋常を上ったら、もうそれより上へはやらん云うのに、お前が無理にやるせにこんなことになったんじゃ。どうもこうもならん!」 それは二月の半ば頃だった。谷間を吹きおろしてくる嵐は寒・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・釣れないというと未熟な客はとかくにぶつぶつ船頭に向って愚痴をこぼすものですが、この人はそういうことを言うほどあさはかではない人でしたから、釣れなくてもいつもの通りの機嫌でその日は帰った。その翌日も日取りだったから、翌日もその人はまた吉公を連・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・鴻雁翔天の翼あれども栩々の捷なく、丈夫千里の才あって里閭に栄少し、十銭時にあわず銅貨にいやしめらるなぞと、むずかしき愚痴の出所はこんな者とお気が付かれたり。ようやくある家にて草鞋を買いえて勇を奮い、八時半頃野蒜につきぬ。白魚の子の吸物いとう・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・これは、愚痴だ。うらみだ。けれども、それを、口に出して、はっきり言わなければ、ひとは、いや、おまえだって、私の鉄面皮の強さを過信して、あの男は、くるしいくるしい言ったって、ポオズだ、身振りだ、と、軽く見ている。」 かず枝は、なにか言いだ・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・一つ牛込の瀬川さんを訪れて、私の愚痴を聞いてもらおうかと思った。 さいわい先生は御在宅であった。私は大隅君の上京を報告して、「どうも、あいつは、いけません。結婚に感激を持っていません。てんで問題にしていないんです。ただもう、やたらに・・・ 太宰治 「佳日」
・・・細君は珍しいおとなしい女で、口喧ましい夫にかしずく様はむしろ人の同情をひくくらいで、ついぞ近所なぞで愚痴をこぼした事もない。従ってこの変った家庭の成立についても細君の元の身分についても、何事も確かな事は聞かれなかった。今は黒田も地方へ行って・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
出典:青空文庫