・・・あるいは己の愛している女に、それほどまでに媚びようとするあの男の熱情が、愛人たる己にある種の満足を与えてくれるからかも知れない。 しかしそう云えるほど、己は袈裟を愛しているだろうか。己と袈裟との間の恋愛は、今と昔との二つの時期に別れてい・・・ 芥川竜之介 「袈裟と盛遠」
・・・ そこで青年たちは断然相互選択にイニシアチヴをとって「愛人教育」をやる気でなくてはならぬ。素質のいい娘を見つけて、如何なる青年を好むべきかを教えこむのだ。偉大にして理想主義のたましい燃ゆる青年は、必ずしも舗道散歩のパートナーとして恰好で・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・よき友に合い、知己に合い、師に合い、それにも増して理想の愛人に合うことはたとえようもない幸福である。士は己れを知る者のために死すというが、自分の精霊の本質をつかんでくれるような知己に合うとき、人は生命をも惜しからじと思うのである。先輩や長上・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・ 愛人とか何とか、そんなものでは無い。私がそのひとのお母さんを知っていて、そうしてそのお母さんは、或る事情で、その娘さんとわかれわかれになって、いまは東北のほうで暮しているのである。そうして時たま私に手紙を寄こして、その娘の縁談に就いて・・・ 太宰治 「朝」
・・・私は女の手に触れず、ちらと眼をくれ、きのう愛人を失った、と呟いた。当ったのである。そこで異様な歓待がはじまった。ひとりのふとった女給は、私を先生とさえ呼んだ。私は、みんなの手相を見てやった。十九歳だ。寅のとし生れだ。よすぎる男を思って苦労し・・・ 太宰治 「逆行」
・・・家内にせんには、ちと、ま心たらわず、愛人とせんには縹緻わるく、妻妾となさんとすれば、もの腰粗雑にして鴉声なり。ああ、不足なり。不足なり。月よ。汝、天地の美人よ。月やはものを思わする。吉田潔。」 月日。「太宰治さん。再々悪筆をお目・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・けれども、悪銭身につかぬ例えのとおり、酒はそれこそ、浴びるほど飲み、愛人を十人ちかく養っているという噂。 かれは、しかし、独身では無い。独身どころか、いまの細君は後妻である。先妻は、白痴の女児ひとりを残して、肺炎で死に、それから彼は、東・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・この度の、全く新しい小さな愛人のために、およろこび申し上げます。笑われても殺されてもいい、一生に一度のおねがい、お医者さまに行って来て下さい、わるい男に抱かれたことございます、と或る朝、十郎様に泣き泣きお願いしたとかいう、その愚かしい愛人の・・・ 太宰治 「古典風」
・・・ この笠井健一郎氏という作家は、若い頃、その愛人にかなり見っともない形でそむかれ、その打撃が、それこそ眉間の深い傷になったくらいに強いものだったらしく、それ以来妻帯もせず、酒ばかり飲んで、女をてんで信用せず、もっぱら女を嘲笑するような小・・・ 太宰治 「女類」
・・・わが愛人。」と勝治はその男に言った。「妹さんだろう?」相手の男は勘がよかった。有原である。「僕は、失敬しよう。」「いいじゃないですか。もっとビイルを飲んで下さい。いいじゃないですか。軍資金は、たっぷりです。あ、ちょっと失礼。」勝治は・・・ 太宰治 「花火」
出典:青空文庫