江口は決して所謂快男児ではない。もっと複雑な、もっと陰影に富んだ性格の所有者だ。愛憎の動き方なぞも、一本気な所はあるが、その上にまだ殆病的な執拗さが潜んでいる。それは江口自身不快でなければ、近代的と云う語で形容しても好い。・・・ 芥川竜之介 「江口渙氏の事」
・・・善悪は好悪を超越しない、好悪は即ち善悪である、愛憎は即ち善悪である、――これは『半肯定論法』に限らず、苟くも批評学に志した諸君の忘れてはならぬ法則であります。「扨『半肯定論法』とは大体上の通りでありますが、最後に御注意を促したいのは『そ・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・が、犬ぶりに由て愛憎を二つにしない二葉亭は不便がって面倒を見てやったから、犬の方でも懐いて、二葉亭が出る度毎に跟を追って困るので、役所へ行く時は格子の中に閉じ込めて何処へも出られないようにして置いた。その留守中は淋しそうにションボリして時々・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・従って、その地方の子供達が海洋に対する空想、憧憬は、決して同じいものではなかったばかりでなく、これに対する愛憎、喜悲の感情に至るまで、また同じいとはいえなかったでありましょう。 それであるから、概念的に、ただ海といっても、すべての子供達・・・ 小川未明 「新童話論」
・・・れも彼奴等の癖だからまア可えわ、辛棒出来んのは高山や長谷川の奴らの様子だ、オイ細川、彼等全然でだめだぞ、大津と同じことだぞ、生意気で猪小才で高慢な顔をして、小官吏になればああも増長されるものかと乃公も愛憎が尽きて了うた。業が煮えて堪らんから・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・選択愛憎等の情緒的な心情もアプリオリの内容を持ち、「心情の秩序」が存在する。道徳価値の把握は知的作用によらず、情緒的な直覚によって価値感知されるのである。これがシェーラーのいわゆる情緒的直覚主義の立場である。シェーラーはさらに価値の等級を直・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・人間は一生、人間の愛憎の中で苦しまなければならぬものです。のがれ出る事は出来ません。忍んで、努力を積むだけです。学問も結構ですが、やたらに脱俗を衒うのは卑怯です。もっと、むきになって、この俗世間を愛惜し、愁殺し、一生そこに没頭してみて下さい・・・ 太宰治 「竹青」
・・・わが生涯の情熱すべてこの一巻に収め得たぞ、と、ほっと溜息もらすまも無し、罰だ、罰だ、神の罰か、市民の罰か、困難不運、愛憎転変、かの黄金の冠を誰知るまいとこっそりかぶって鏡にむかい、にっとひとりで笑っただけの罪、けれども神はゆるさなかった。君・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・これはどうする事もできない自然の理法であろう。愛憎はよくないと言って愛憎のない世界がもしあったらそれはどんなにさびしいものかもわからない。 子猫はそれぞれもらわれて行った。太郎はあるデパートメントストアーへ出ているという夫婦暮らしの家へ・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・喜怒愛憎の高潮に伴なう涙は理知や道徳などとは関係の薄い情緒的のものであるが、哀別離苦の焦心の涙にはよほど本能的なものがあって、純粋な肉体の苦痛によるものとかなりまで相通ずるものがありそうに思われる。 いずれにしても、笑う前と泣く前とでは・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫