一 加州石川郡金沢城の城主、前田斉広は、参覲中、江戸城の本丸へ登城する毎に、必ず愛用の煙管を持って行った。当時有名な煙管商、住吉屋七兵衛の手に成った、金無垢地に、剣梅鉢の紋ぢらしと云う、数寄を凝らした・・・ 芥川竜之介 「煙管」
・・・万年筆は絶えず愛用せられたが、インキは何時もセピアのドローイングインキだったから、万年筆がよくいたんだ。私が一度、いい万年筆を選んで、自分で使い慣らしてからインキを一瓶つけて持たせてやったことがあるが、そのインキがブリウブラクだったから気に・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・ ちかごろヴィタミンCやBの売薬を何となく愛用している私は、いもりの黒焼の効能なぞには自然疑いをもつのであるが、けれども仲の悪い夫婦のような場合は、効能が現われるという信念なり期待なりを持っていると、つい相手の何でもない素振りが自分に惚・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・クリーム、ふけとりなどはどうかと思ったが、これもこっそり愛用した。それに、父親は今なお一銭天婦羅で苦労しているのだ。殿様のおしのびめいたり、しんみり父親の油滲んだ手を思い出したりして、後に随いて廻っているうちに、だんだんに情緒が出た。 ・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・四十年間、愛用している。これをかぶって、銀座に出る。資生堂へはいって、ショコラというものを注文する。ショコラ一ぱいに、一時間も二時間も、ねばっている。あちら、こちらを見渡し、むかしの商売仲間が若い芸妓などを連れて現れると、たちまち大声で呼び・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・表紙は八雲氏が愛用していた蒲団地から取ったものだそうで、紺地に白く石燈籠と萩と飛雁の絵を飛白染めで散らした中に、大形の井の字がすりが白くきわ立って織り出されている。 これもいかにも八雲氏の熱愛した固有日本の夢を象徴するもののように見えて・・・ 寺田寅彦 「小泉八雲秘稿画本「妖魔詩話」」
・・・コーヒー糖と称して角砂糖の内にひとつまみの粉末を封入したものが一般に愛用された時代であったが往々それはもう薬臭くかび臭い異様の物質に変質してしまっていた。 高等学校時代にも牛乳はふだん飲んでいたがコーヒーのようなぜいたく品は用いなかった・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・の頭を風にふかせ、竹の御愛用ステッキを顎の下に突いてしゃがんでいたが、やがてホラどうだねと立って左、右、左、右と脚をひろげて力を入れ、小さいフワフワ棧橋をなおゆすろうとするのです。ところが不覚にも、その棧橋の陸につないであるところに私と栄さ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・保守的な彼女等の先輩は、只管に聖句を愛用して、誤解した神聖さで、人間を殺そうと致します。 薔薇液を身に浴び、華奢な寛衣をまとい、寝起きの珈琲を啜りながら、跪拝するバガボンドに流眄をする女は、決して、その情調を一個の芸術家として味って居る・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
出典:青空文庫