・・・学士はそこに好い隠れ家を見つけたという風で、愛蔵する鷹の羽の矢が白い的の方へ走る間、一切のことを忘れているようであった。 大尉等を園内に残して置いて、学士と高瀬の二人は復た元来た道を城門の方へとった。 途中で学士は思出したように、・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・そのナイフは、夫の愛蔵のものでございまして、たしか夫の机の引出しの中にあったので、それではさっき夫が家へ帰るなり何だか引出しを掻きまわしていたようでしたが、かねてこんな事になるのを予期して、ナイフを捜し、懐にいれていたのに、違いありません。・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・そこには、氏の特に愛蔵する夏目漱石氏の書、平福百穂氏の絵などが豊富に飾られてあった。別に、鴨居から一幅、南画の山水のちゃんと表装したのがかかっていた。瀧田氏は、ぐるぐる兵児帯を巻きつけた風で、その前に立ち、「どうです、これはいいでしょう・・・ 宮本百合子 「狭い一側面」
・・・その後東京の町は激しく破壊され、先生が大震災後住みついていられたお宅も、愛蔵された書籍や書画や骨董とともに焼けてしまった。それのみか、戦いの終わろうとする間ぎわになって、やはり空襲のために、学徒で召集されていた愛孫を失われた。そのあとには占・・・ 和辻哲郎 「歌集『涌井』を読む」
・・・という掛け軸を、今でも愛蔵している。これは漱石の晩年の心境を現わしたものだと思う。人静かにして月同じく眠るのは、単なる叙景である。人静かにして月同じく照らすというところに、当時の漱石の人間に対する態度や、自ら到達しようと努めていた理想などが・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫