・・・ 沼南にはその後段々近接し、沼南門下のものからも度々噂を聞いて、Yに対する沼南の情誼に感奮した最初の推服を次第に減じたが、沼南の百の欠点を知っても自分の顔へ泥を塗った門生の罪過を憎む代りに憐んで生涯面倒を見てやった沼南の美徳に対する感嘆・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・私が、曾て、ロシア人の話を聞いて、感奮した如く、もっとそれよりも、赤裸なる、悲痛な人生に直面して、限りない興奮を感じ、筆を剣にして戦わんとする、斯くの如き真実なる無産派の作家を私は、親愛の眼で眺めずにはいられないのであります。――十月十九日・・・ 小川未明 「自分を鞭打つ感激より」
・・・いかに深く理解するかによって、その作品は、児童の真の友達となり忠告者となり、最もよき代弁者ともなるのであって、いまゝでの如く強圧することのかわりに、内部的に感奮興起せしむるに至るのであります。常に、いゝ作品は、強いられたる感激でなくして、実・・・ 小川未明 「新童話論」
・・・正義をもって社会悪を克服するという倫理的な根拠なくして、単なる物的必然力によって、人間は犠牲的奉仕にまで感奮することは出来るものではない。 倫理思想は内側から社会を動かす原動力である。そして倫理学はその実践への機を含んでしかも、直接に発・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・などと何の意味も無いような意見を述べても、映画界の幹部たちはひとしく感奮し、ただちに映画界の全従業員を集めて、「実にこの娯楽味を忘れてはなりませぬです」という一場の訓辞をこころみるかも知れないのだから、人の気持って微妙なものだ。 私だっ・・・ 太宰治 「芸術ぎらい」
・・・ チルチルなるもの、感奮一番せざるを得ない。水臭いな、親爺は親爺、おれはおれさ、ザマちゃんお前ひとりを死なせないぜ、なぞという馬鹿な事を言って、更に更に風間とその一党に対して忠誠を誓うのである。 風間は真面目な顔をして勝治の家庭にま・・・ 太宰治 「花火」
・・・ きょうは、あなたのお手紙の長さに感奮し、その返礼の気持もあり、こんな馬鹿正直の無警戒の手紙を差上げる事になりました。 私たちは程度の差はあっても、この戦争に於いて日本に味方をしました。馬鹿な親でも、とにかく血みどろになって喧嘩をし・・・ 太宰治 「返事」
・・・しかし同じく生れて詩人となるやその滅びたる芸術を回顧する美的感奮の真情に至っては、さして多くの差別があろうとも思われぬ。 否々。自分は彼れレニエエが「われはヴェルサイユの最後の噴泉そが噴泉の都の面に慟哭するを聴く。」と歌った懐古の情の悲・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・近衛文麿、永井柳太郎等が文学を判ろうとしている誠意に感奮して、「実行の文学」を唱え、某方面の後援によって満州へ出かけられることに誇りを感じているらしい姿も、林氏の言葉につれて読者の心に思い浮んで来るのである。 文学または思想における日本・・・ 宮本百合子 「文学における今日の日本的なるもの」
・・・そして、八時間労働の要求が通ったことに、世界の労働者が感奮しました。それ以来、一八九〇年、明治二十三年から、五月一日のメーデーは国際的な催しとなったのでした。 明治二十三年と云えば、日本では、ついこの間まであった旧い憲法の発布された翌年・・・ 宮本百合子 「メーデーと婦人の生活」
出典:青空文庫