・・・ 一つには、可愛い盛りで死なせた妹のことを落ちついて考えてみたいという若者めいた感慨から、峻はまだ五七日を出ない頃の家を出てこの地の姉の家へやって来た。 ぼんやりしていて、それが他所の子の泣声だと気がつくまで、死んだ妹の声の気持・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・そして彼自身も今更想い起して感慨に堪えぬ様であった。「さぞ憎らしかッたでしょうねエ、」「否、憎らしいとその時思うことが出来るなら左まで苦しくは無いのです。ただ悲嘆かったのです。」 お正の両頬には何時しか涙が静かに流れている。・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・ 酔いが回って来たのか、それとも感慨に堪えぬのか、目を閉じてうつらうつらとして、体をゆすぶっている。おそらくこの時が彼の最も楽しい時で、また生きている気持ちのする時であろう。しかし、まもなく目をあけて、「けれども、だめだ、もうだめだ・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・ これも、しかし東京のことが分らない田舎者の感慨だろうか。 黒島伝治 「田舎から東京を見る」
・・・帰後独坐感慨これを久うす。 十日、東京に帰らんと欲すること急なり。されど船にて直航せんには嚢中足らずして興薄く、陸にて行かば苦み多からんが興はあるべし。嚢中不足は同じ事なれど、仙台にはその人無くば已まむ在らば我が金を得べき理ある筋あり、・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・彼女は一日も手放しがたいものに思うお新を連れ、預り子の小さな甥を連れ、附添の婆やまで連れて、賑かに家を出て来たが、古い馴染の軒を離れる時にはさすがに限りない感慨を覚えた。彼女はその昂奮を笑いに紛わして来た。「みんな、行って来るぞい」その言葉・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ こう新七は言って、小竹の旦那として母と一緒に暮した時代のことを振返って見るように、感慨の籠った調子で、「今度という今度は私も眼がさめました。横内にしろ、日下部にしろ、三枝にしろ、それから店の番頭達にしろ、あの人達がみんな私から離れ・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・ 私はいまでも、はっきり記憶しているが、私はその短篇集を読んで感慨に堪えず、その短篇集を懐にいれて、故郷の野原の沼のほとりに出て、うなだれて徘徊し、その短篇集の中の全部の作品を、はじめから一つ一つ、反すうしてみて、何か天の啓示のように、・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・ぎりぎりに行きづまって、くるしまなければ、いつまで経っても青空を見る事が出来ないのだ、いまは、かえって、きのう迄の行きづまりに感謝だ、などと甘い感慨にふけっている形なのです。私は無学で、本当に何一つ知らないのですが、でも、聖書だけは、新聞配・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・別段、あらたまった感慨もない。ただ、やり切れなく侘びしい。 なんじを訴うる者と共に途に在るうちに、早く和解せよ。恐らくは、訴うる者なんじを審判人にわたし、審判人は下役にわたし、遂になんじは獄に入れられん。誠に、なんじに告ぐ、一厘も残りな・・・ 太宰治 「鴎」
出典:青空文庫