・・・家内の恐怖の情を見て、たちまち私は、それに感染してしまったのである。歯の根も合わぬほどに、がたがたと震えはじめた。はじめて、人心地を取りかえしたのかも知れない。それまでは、私は、あまりの驚愕に、動顛して、震えることさえ忘却し、ひたすらに逆上・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・そうだとすれば、これだけの強勢な伝播と感染の能力を享有する七五の定数にはやはりそうなるだけの内在的理由があると考えるよりほかに道はないであろうと思われる。 要するに七五の定数律は人のこしらえたものではなくて、ひとりで生まれひとりで生長し・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・なおよく探究すると、公に言いにくい夫の疾がいつのまにか妻に感染したのだということまでわかった。父母の懸念が道徳上の着色を帯びて、好悪の意味で、娘の夫に反射するようになったのはこの時からである。彼らは気の毒な長女を見るにつけて、これから嫁にや・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・そうだからこそ、こんにち、ラジオや出版物で戦争を挑発し、戦争ヒステリーに感染させようとしている者どもは、この地球のどこかに、この次の戦争に利用されていい民族、あるいは人民の群が存在してでもいるかのような云いかたをしています。自分のところは無・・・ 宮本百合子 「国際婦人デーへのメッセージ」
・・・ 巣鴨にチフスが流行して、病舎にいて感染いたし、大心配して居りましたが、これも不正型というので熱が低いまま落付き仕合わせ致しました。 世界の大渦がキリキリと小さな渦巻となって、一つ一つの家庭に波及して参る様はなかなか壮観と申すべきで・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
・・・三月の初に宇平と文吉とが感染して、熱を出して寝た。九郎右衛門は自分の貰った銭で、三人が一口ずつでも粥を啜るようにしていた。四月の初に二人が本復すると、こん度は九郎右衛門が寝た。体は巌畳でも、年を取っているので、容体が二人より悪い。人の好い医・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・私がそういう顔をしている時には妻は決して笑ったりハシャイだりはできないので、自然無口になって、いくらか私の気ムズかしい表情に感染します。親たちの顔に現われたこういう気持ちはすぐ子供に影響しました。初めおとなしく食事を取っていた子供は、何ゆえ・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
・・・若い連中にはどうしても時勢に流され、流行に感染する傾向があったが、漱石は決してそれに迎合しようとはせず、また流行するものに対して常に反感を持つというわけでもなく、自分の体験に即して、よいものはよいもの、よくないものはよくないものとはっきり自・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫