・・・ 私は若い母が感興を動かすかどうかを見ようとした。しかしその美しい眼はなんの輝きもあらわさなかった。「僕はここへ来るといつもあの路を眺めることにしているんです。あすこを人が通ってゆくのを見ているのです。僕はあの路を不思議な路だと思う・・・ 梶井基次郎 「闇の書」
・・・すなわちあの時はただ愛、ただ感ありしのみ、他に思考するところの者を藉り来たりて感興を助くるに及ばざりしなり。されどかの時はすでに業に過ぎ逝きたり。 しかもわれはこの経過を唸かず哀しまざるなり。われはこの損失を償いて余りある者を得たり。す・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・言葉を換えていえば、田舎の人にも都会の人にも感興を起こさしむるような物語、小さな物語、しかも哀れの深い物語、あるいは抱腹するような物語が二つ三つそこらの軒先に隠れていそうに思われるからであろう。さらにその特点をいえば、大都会の生活の名残と田・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・日蓮はこの栗毛の馬に愛と感興とを持った。彼の最後の消息がこの可憐な、忠実な動物へのいつくしみの表示をもって終わっているのも余韻嫋々としている。彼の生涯はあくまで詩であった。「みちのほど、べち事候はで池上までつきて候。みちの間、山と申し、・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・君の小説は、面白そうです。四十年の荒野の意識は、流石に、たっぷりしています。君の感興を主として、濶達に書きすすめて下さい。君ほどの作家の小説には、成功も失敗も無いものです。 あの温泉宿の女中さん達は、自分の拝見したところに依ると、君をた・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・あるいは偶然に読んだ詩編か小説かの中である感興に打たれたような場所に決めてしまう。そうして案内記などにはてんでかまわないで飛び出して行く。そうして自分の足と目で自由に気に向くままに歩き回り見て回る。この方法はとかくいろいろな失策や困難をひき・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・この葛藤に伴なう多くの美しい感傷の場面の連続によって観客の感興をつなぎつつ最後の頂点に導いて行く監督の腕前はそんなに拙であると思われないようである。しかしそういう劇的な脚色の問題とは離れて、前記の「実験」の意味からいうと、本筋のストーリーよ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・ ただ、見馴れない吾々にはどうもあまりひねり過ぎたと思われるような、あるいは無用に誇張したと思われるような辞句が目に立って、却って感興をそがれるような気のするのもありました。一体にもう少し修辞法を練る余地があるのではないかと思われました・・・ 寺田寅彦 「御返事(石原純君へ)」
・・・もっとも中には直感的に認めた結果が誤謬である場合もしばしばあるが、とにかくこれらの場合における科学者の心の作用は芸術家が神来の感興を得た時のと共通な点が少なくないであろう。ある科学者はかくのごとき場合にあまりはなはだしく興奮してしばらく心の・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・古い都の京では、嵐山や東山などを歩いてみたが、以前に遊んだときほどの感興も得られなかった。生活のまったく絶息してしまったようなこの古い鄙びた小さな都会では、干からびたような感じのする料理を食べたり、あまりにも自分の心胸と隔絶した、朗らかに柔・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
出典:青空文庫