・・・恨平らぎ難きを 業風過ぐる処花空しく落ち 迷霧開く時銃忽ち鳴る 狗子何ぞ曾て仏性無からん 看経声裡三生を証す 犬塚信乃芳流傑閣勢ひ天に連なる 奇禍危きに臨んで淵を測らず きほ敢て忘れん慈父の訓 飄零枉げて受く美人の憐み 宝刀・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・波木井殿に対面ありしかば大に悦び、今生は実長が身に及ばん程は見つぎ奉るべし、後生をば聖人助け給へと契りし事は、ただ事とも覚えず、偏に慈父悲母波木井殿の身に入りかはり、日蓮をば哀れみ給ふか。」 かくて六月十七日にいよいよ身延山に入った。彼・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・だらけのだらしのない弟子たちに対して、真の慈父のような寛容をもって臨み、そうしてどこまでも懇切にめんどうを見てやるのに少しも骨身を惜しまれなかったように見える。自分がだらしがなくて、人には正確を要求する十人並みの人間のすることとは全く反対で・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
・・・しかし子供のような心で門下に集まる若い者には、あらゆる弱点や罪過に対して常に慈父の寛容をもって臨まれた。そのかわり社交的技巧の底にかくれた敵意や打算に対してかなりに敏感であったことは先生の作品を見てもわかるのである。「虞美人草」を書いて・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・みすみす大家に損をしろというようなことはなり立たないという厚生省のいわれたのは、大家にとって慈父の言であろうが、厘毛をあらそう小商人さえ配給員となって、三十五円、四十円の月給とりで国策にそおうという今日、家主も国家的任務を自覚させてもらうこ・・・ 宮本百合子 「私の感想」
・・・見分が済んで、鵜殿吉之丞から西丸目附松本助之丞へ、酒井家留守居庄野慈父右衛門から酒井家目附へ、酒井家から用番大久保加賀守忠真へ届けた。 十五日卯の下刻に、水野采女の指図で、庄野へ九郎右衛門等三人を引き渡された。前晩酉の刻から、九郎右衛門・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫