・・・「するとその肺病患者は慰みに彫刻でもやっていたのかね。」「これもやっぱり園芸用のものだよ。頭へ蘭などを植えるものでね。……あの机やストオヴもそうだよ。この納屋は窓も硝子になっているから、温室の代りに使っていたんだろう。」 T君の・・・ 芥川竜之介 「悠々荘」
・・・ ――金石の湊、宮の腰の浜へ上って、北海の鮹と烏賊と蛤が、開帳まいりに、ここへ出て来たという、滑稽な昔話がある―― 人待石に憩んだ時、道中の慰みに、おのおの一芸を仕ろうと申合す。と、鮹が真前にちょろちょろと松の木の天辺へ這って、脚を・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 聞けば、向う岸の、むら萩に庵の見える、船主の料理屋にはもう交渉済で、二人は慰みに、これから漕出そうとする処だった。……お前さんに漕げるかい、と覚束なさに念を押すと、浅くて棹が届くのだから仔細ない。ただ、一ケ所底の知れない深水の穴がある・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ 門を出ると、右左、二畝ばかり慰みに植えた青田があって、向う正面の畦中に、琴弾松というのがある。一昨日の晩宵の口に、その松のうらおもてに、ちらちら灯が見えたのを、海浜の別荘で花火を焚くのだといい、否、狐火だともいった。その時は濡れたよう・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・小児の時から髪を結うのが好きで、商売をやめてから、御存じの通り、銀杏返しなら人の手はかりませんし、お源の島田の真似もします。慰みに、お酌さんの桃割なんか、お世辞にも誉められました。めの字のかみさんが幸い髪結をしていますから、八丁堀へ世話にな・・・ 泉鏡花 「湯島の境内」
・・・ 君が歌を作り文を作るのは、君自身でもいうとおり、作らねばならない必要があって作るのではなく、いわば一種のもの好き一時の慰みであるのだ。君はもとより君の境遇からそれで結構である。いやしくも文芸にたずさわる以上、だれでもぜひ一所懸命になっ・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・こんな事申し上ぐるにも心は慰み申し候。それでも省さまという人のあるわたし、決して不仕合せとは思いませぬ」 種まきの仕度で世間は忙しい。枝垂柳もほんのり青みが見えるようになった。彼岸桜の咲くとか咲かぬという事が話の問題になる頃は、都で・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・に門戸を張る心持がまるきりなかったとも限らないが、その頃は淡島屋も繁昌していたし、椿岳の兄の伊藤八兵衛は飛ぶ鳥を落す勢いであったから、画を生活のたつきとする目的よりはやはり金持の道楽として好きな道から慰みに初めたのであろうと思う。椿岳の・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・しかも漢詩漢文や和歌国文は士太夫の慰みであるが、小説戯曲の如きは町人遊冶郎の道楽であって、士人の風上にも置くまじきものと思われていた故、小説戯曲の作者は幇間遊芸人と同列に見られていた。勧善懲悪の旧旗幟を撞砕した坪内氏の大斧は小説其物の内容に・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・あだに費やすべきこの後の日数に、心慰みの一つにても多かれ。美しき獲物ぞ。とのどかに葉巻を燻らせながら、しばらくして、資産家もまた妙ならずや。あわれこの時を失わじ。と独り笑み傾けてまた煙を吐き出しぬ。 峰の雲は相追うて飛べり。松も遠山も見・・・ 川上眉山 「書記官」
出典:青空文庫