・・・同仁病院長山井博士の説によれば、忍野氏は昨夏脳溢血を患い、三日間人事不省なりしより、爾来多少精神に異常を呈せるものならんと言う。また常子夫人の発見したる忍野氏の日記に徴するも、氏は常に奇怪なる恐迫観念を有したるが如し。然れども吾人の問わんと・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・「いいや、子供は助かった代りに看病したお松が患いついたです。もう死んで十年になるですが、……」「やっぱりチブスで?」「チブスじゃないです。医者は何とか言っていたですが、まあ看病疲れですな。」 ちょうどその時我々は郵便局の前に・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・もしその数なり実質なりが裕かに過ぎたならば、ここに再び新たな容易ならざる階級争闘がひき起こされる憂いが十分に生じてくる。なぜならば私生児の数が多きに過ぎたならば、ここにそれを代表する生活と思想とが生まれ出て、第四階級なる生みの親に対して反駁・・・ 有島武郎 「片信」
・・・空地に高さ一丈ぐらいの木が立っていて、それに日があたっているのを見てある感じを得たとすれば、空地を広野にし、木を大木にし、日を朝日か夕日にし、のみならず、それを見た自分自身を、詩人にし、旅人にし、若き愁いある人にした上でなければ、その感じが・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・ 渠は手も足も肉落ちて、赭黒き皮のみぞ骸骨を裹みたるたる空に覆れたる万象はことごとく愁いを含みて、海辺の砂山に著るき一点の紅は、早くも掲げられたる暴風警戒の球標なり。さればや一艘の伝馬も来らざりければ、五分間も泊らで、船は急進直江津に向・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・たとい人に見らるるの憂いがないにせよ、余儀なき事の勢いに迫ったにせよ、あまりに蛮性の露出である。こんな事が奮闘であるならば、奮闘の価は卑しいといわねばならぬ。しかし心を卑しくするのと、体を卑しくするのと、いずれが卑しいかといえば、心を卑しく・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・『八犬伝』もまた末尾に近づくにしたがって強弩の末魯縞を穿つあたわざる憾みが些かないではないが、二十八年間の長きにわたって喜寿に近づき、殊に最後の数年間は眼疾を憂い、終に全く失明して口授代筆せしめて完了した苦辛惨憺を思えば構想文字に多少の倦怠・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・七 田端の月夜 三十六年、支那から帰朝すると間もなく脳貧血症を憂いて暫らく田端に静養していた。病気見舞を兼ねて久しぶりで尋ねると、思ったほどに衰れてもいなかったので、半日を閑談して夜るの九時頃となった。暇乞いして帰ろうとする・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・並みの懐子とは違って、少しの苦しみや愁いくらいは驚きゃしないから」「それもそうだし、第一金さんのとこへ片づいて、辛抱の出来ないようなそんな苦しいことや、愁いことがあろうわけがなさそうに思われるがね。それとも金さん、何かお上さんが辛抱の出・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・まして上行菩薩を自覚してる彼が、国を憂い、世を嘆いて、何の私慾もない熱誠のほとばしりに、舌端火を発するとき、とりまく群衆の心に燃えうつらないわけにはいかなかったろう。彼の帰依者はまし、反響は大きくなった。そこで弘長元年五月十二日幕吏は突如と・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
出典:青空文庫