・・・ 作家としてよりも先ず人間としてわたくしは――そういえば、画家だって俳優だって、怒る時には怒り、憤る時には憤るであろう。 哀しみ 作家としての哀しみというと、それは第二義的のことに過ぎない。人間としての感情・・・ 宮本百合子 「感情の動き」
・・・ つよくよろこぶ心、つよく悲しむ心、つよく憤ることのできる心、そういう心は豊かな心である。そういう心は幸福感もつよく感じるが、その幸福感のそこなわれる感じもきつく受けるであろう。真のゆたかにつよい心は、自分のよろこびの感情も、悲しみの感・・・ 宮本百合子 「幸福の感覚」
・・・し、私は、文学に、何ぞこの封建風な徒弟気質ぞ、と感じ、更に、そのような苦衷、あるいは卑屈に似た状態におとしめられていることに対して、ヒューマニズムは、先ず、文学的インテリゲンチアをゆすぶって、憤りを、憤るという人間的な権利をもっているのであ・・・ 宮本百合子 「十月の文芸時評」
・・・ 和久井門平 小市民の下級知識労働者が、市の職業紹介所へ行って、かかりの者の官僚主義や、得たいのしれぬ情実採用に痛めつけられ憤る心持を、この作者は細々と書いている。憤りを押えて下手に出る求職者の心もちなどこくめいに書かれているが、作品・・・ 宮本百合子 「小説の選を終えて」
・・・ わたしたち日本の女性は、もっともっと自分たちの置かれている無力に憤ることを知らなければならないと思う。日本の女性がこんどの侵略行為のために払わされている犠牲の大きさについて、真剣に、自覚しなければならないと思う。私たちの欲しいのが平和・・・ 宮本百合子 「正義の花の環」
・・・ Y、母の土地が、そんなにやすくては憤るだろうと思う。やがて父死ぬ。お父さーんお父さーんと泣く。 自分の夢 坂をのぼった西洋風の上り口多勢の一隊、自分、母、他の小さい人など、夜、くらくて足元のわからない、向うから・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・にも同じ傾きとして、浮薄な世間の毀誉褒貶を憤る心が沁み出ている。これは、『若菜集』によって、俄に盛名をあげた藤村がこれまでと異った身辺の事情・角度から人生の波の危くしのぎがたいのを感じた心の反映として深い興味を覚える。 この境地から脱し・・・ 宮本百合子 「藤村の文学にうつる自然」
・・・ 彼女は、しんから自分自身の生命の栄えを讃美しながら、次の対照の現われを強い自信と名誉をもって待っていたのである。 が、禰宜様宮田は……。 憤るには、彼等はあまり疲弊していた。 海老屋から使がその趣を伝えて来たときでも、彼等・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・その頃は、まだ文学者一般に、そういう処置に対して憤る感情が生きていて、ひろ子の苦しさも一人ぎりのものではなかった。それについて話す対手があったのであった。 三年たった四一年には、ぐるりの有様が一変していた。作品の発表を「禁止されるような・・・ 宮本百合子 「風知草」
出典:青空文庫