・・・高原君は御覧の通りフロックコートを着ておりましたが、私はこの通り背広で御免蒙るような訳で、御話の面白さもまたこの服装の相違くらい懸隔しているかも知れませんから、まずその辺のところと思って辛抱してお聴きを願います。高原君はしきりに聴衆諸君に向・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・―― わが小説界は偉大なる一、二の天才を有する代りに、優劣のしかく懸隔せざる多数の天才の集合努力によって進歩しつつある。 この傾向を首肯いつつ、文芸委員のするという選抜賞与の実際問題に向うならば、公平にして真に文界の前途を思うものは・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・してみると階級が違えば種類が違うという意味になってその極はどんな人間が世の中にあろうと不思議を挟む余地のないくらいに自他の生活に懸隔のある社会制度であった。したがって突拍子もない偉い人間すなわち模範的な忠臣孝子その他が世の中には現にいるとい・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・また貧富の懸隔はかように色気なき物かとも感ずる。またミカウバーと住んでおったデヴィッド・カッパーフィールドのような感じもする。四月二十日。 三 朋友その朋友と共に我輩が生活を共にするところの朋友姉妹の事について・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・おまけに男のかたが十七で、高等学校をお出になったばかりで、後家はもう二十三になっているのですから、その六つが大した懸隔になったのも無理はございませんね。そんな風にしていましたから、人の世話ばかり焼くイソダンの人達も、わたくしの所へあなたのい・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ 評論家谷川徹三氏は、現代の日本では大衆の持っている文化水準と一部の作家が持っている文化水準とはひどく懸隔している。そこに文学が大衆の生活との繋りを失う原因があるのであるから、新しい文学の方向としては、この両者の距離を埋めるような均衡を・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
・・・本年に入ってこの論は、純文学と民衆生活との懸隔という方向へ展開された。純文学の作品を、きょうの民衆の何人が読んでいるか。彼等は依然として浪花節を好んで講談本を読んでいるではないかという風に問題がおこされたのであった。 そして、これ等の論・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ 経済の力の相違が国民の文化生活の間に懸隔をもたらさないと同時に、男であり、女であるという偶然なことで、受け入れる文化のよろこびの範囲が大変掣肘されたり、又は文化の創造力への関心の度がちがったりしないようになることも、一つの切実な要望で・・・ 宮本百合子 「実際に役立つ国民の書棚として図書館の改良」
・・・そこにもう絶対的な或るもの――禰宜様宮田にとってはこの上ない畏怖となって感じられた、両者の位置の懸隔――を認めることに、馴されきっているのである。 何を云われても、彼はただハイ、ハイとお辞儀ばかりをした。 一通り云うだけのことを云う・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・普通一般人の生活感情とそれを語ろうとする文学とは役所的なもの、権力に属したものと漸く遠い懸隔を示して来たからである。が、明治文学が、その渾沌とした胎生期において、一方には福沢諭吉の「窮理図解」を持ち、他方に仮名垣魯文の「胡瓜遣」を持っていた・・・ 宮本百合子 「文学における今日の日本的なるもの」
出典:青空文庫