・・・……第一見えそうな位置でもないのに――いま言った黄昏になる頃は、いつも、窓にも縁にも一杯の、川向うの山ばかりか、我が家の町も、門も、欄干も、襖も、居る畳も、ああああ我が影も、朦朧と見えなくなって、国中、町中にただ一条、その桃の古小路ばかりが・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・……余りの様子を、案じ案じ捜しに出た父に、どんと背中を敲かれて、ハッと思った私は、新聞の中から、天狗の翼をこぼれたようにぽかんと落ちて、世に返って、往来の人を見、車を見、且つ屋根越に遠く我が家の町を見た。―― なつかしき茸狩よ。 二・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・が、その女振を視て、口説いて、口を遁げられたやけ腹に、巫女の命とする秘密の箱を攫って我が家を遁げて帰らない。この奇略は、モスコオの退都に似ている。悪孫八が勝ち、無理が通った。それも縁であろう。越後巫女は、水飴と荒物を売り、軒に草鞋を釣して、・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・三郎が我が家から程隔たったところを歩いていますと、ある大きな屋敷がありまして、その門の前を通りますと、門の中で子供らと犬とが遊んでいました。 三郎はふとのぞきますと、なんで自分が一日も忘れなかったほどにかわいがっていたボンを忘れることが・・・ 小川未明 「少年の日の悲哀」
・・・二 その日、光治は学校の帰りに、しくしくと泣いて、我が家の方をさして路を歩いてきました。それは三人にいじめられたばかりでなく、みんなからのけ者になったというさびしさのためでありました。真夏の午後の日の光は田舎道の上を暑く照ら・・・ 小川未明 「どこで笛吹く」
・・・ かくてくず湯も成りければ、啜る啜るさまざまの物語する序に、氷雨塚というもののこのあたりにあるべきはずなるが知らずやと問えば、そのいわれはよくも知らねど塚は我が家のすぐ横にあり、それその竹の一ト簇しげれるが、尋ねたまうものなりと指さし示・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・久しく見ざれば停車場より我が家までの間の景色さえ変りて、愴然たる感いと深く、父上母上の我が思いなしにやいたく老いたまいたる、祖母上のこの四五日前より中風とやらに罹りたまえりとて、身動きも得したまわず病蓐の上に苦しみいたまえるには、いよいよ心・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・つまらなくなり、あくびの涙がつつと頬を走って流れても、それにかまわず、ぼんやり庭の向うの麦畑を眺めて、やがて日が暮れるというような、半病人みたいな生活をしているのだから、いま、ただちに勇んで、たのしい我が家に引き返そうという気力も出て来ない・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・その婦女子をだます手も、色々ありまして、或いは謹厳を装い、或いは美貌をほのめかし、あるいは名門の出だと偽り、或いはろくでもない学識を総ざらいにひけらかし、或いは我が家の不幸を恥も外聞も無く発表し、以て婦人のシンパシーを買わんとする意図明々白・・・ 太宰治 「小説の面白さ」
・・・是等は都て家風に存することにして、稚き子供の父たる家の主人が不行跡にて、内に妾を飼い外に花柳に戯るゝなどの乱暴にては、如何に子供を教訓せんとするも、婬猥不潔の手本を近く我が家の内に見聞するが故に、千言万語の教訓は水泡に帰す可きのみ。又男女席・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
出典:青空文庫