・・・さて百姓は蹣跚きながら我家に帰った。永い間女房を擲って居た。そうしてたった一週間前に買って遣った頭に被る新しい巾を引き裂いた。 それからこの犬は人間というものを信用しなくなって、人が呼んで摩ろうとすると、尾を股の間へ挿んで逃げた。時々は・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・我にもあらず崖を一なだれにころげ落ちて、我家の背戸に倒れ込む。そこにて吻と呼吸して、さるにても何にかあらんとわずかに頭を擡ぐれば、今見し処に偉大なる男の面赤きが、仁王立ちに立はだかりて、此方を瞰下ろし、はたと睨む。何某はそのまま気を失えりと・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・そのほか、小座敷でも広室でも、我家の暗をかくれしのぶ身体はまるで鼠のようで、心は貴方の光のまわりに蛾のようでした。ですが、苦労人の女中にも、わけ知の姉たちにも、気ぶりにも悟られた事はありません。身ぶり素ぶりに出さないのが、ほんとの我が身体で・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・い、無暗と強いられて篠田は夢現とも弁えず、それじゃそうよ、請取ったと、挨拶があるや否や、小宮山は篠田の許を辞して、一生懸命に駈出した、さあ荷物は渡した、東京へ着いたわ、雨も小止みかこいつは妙と、急いで我家へ。 翌日取も置かず篠田を尋ねて・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ 家には待つものあり、彼は炉の前に坐りて居眠りてやおらん、乞食せし時に比べて我家のうちの楽しさ煖かさに心溶け、思うこともなく燈火うち見やりてやおらん、わが帰るを待たで夕餉おえしか、櫓こぐ術教うべしといいし時、うれしげにうなずきぬ、言葉す・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・ 細川は自分の竿を担ついで籠をぶらぶら下げ、浮かぬ顔をして、我家へと帰った。この時が四時過ぎでもあろう。家では老母が糸を紡いていた。 その夜の八時頃、ちょうど富岡老人の平時晩酌が済む時分に細川校長は先生を訪うた。田甫道をちらちらする・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・ 騒ぎ疲ぶれて衆人散々に我家へと帰り去り、僕は一人桂の宅に立寄った。黙って二階へ上がってみると、正作は「テーブル」に向かい椅子に腰をかけて、一心になって何か読んでいる。 僕はまずこの「テーブル」と椅子のことから説明しようと思う。「テ・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・深谷に着きて汽車に打乗り、鴻巣にいたりて汽車を棄て、人力車を走らせて西吉見の百穴に人間の古をしのび、また引返して汽車に乗り、日なお高きに東京へ着き、我家のほとりに帰りつけば、秩父より流るる隅田川の水笑ましげに我が影を涵せり。・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・しかし自分はと云うとこの広い世界の片隅に住み古した小さな雀の巣のような我家へ帰って行くより外はないのである。小雨の降る薄暮の街に灯がともり始め、白い水面を一群のかもめが巴を描いて飛び交わしている。船は大きなカーヴを描いて出て行くので色さまざ・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・ この幼い子供達のうちには我家が潰れ、また焼かれ、親兄弟に死傷のあったようなのも居るであろうが、そういう子等がずっと大きくなって後に当時を想い出すとき、この閑寂で清涼な神社の境内のテントの下で蓄音機の童謡に聴惚れたあの若干時間の印象が相・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
出典:青空文庫