・・・ 第三金時丸は、こうして時々、千本桜の軍内のように、「行きつ戻りつ」するのであった。コムパスが傷んでいたんだ。 又、彼女が、ドックに入ることがある。セイラーは、カンカン・ハマーで、彼女の垢にまみれた胴の掃除をする。 あんまり強く・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・仮令お手紙を上げたとて、虚が信になりもせず、涙をどれ程注いでも死んだものが生き戻りはいたしますまい。世の中は不患議なもので、わたしもそのまま死にもせず、あれから幾十の寂しさ厭苦さを閲した上でわたしは漸々死にました。そしてその時わたしは何卒貴・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・とかように初に置くこと感情の順序に戻りて悪し。『万葉』にてはかくいわず。全くこの語を廃するか、しからざれば「煙立ついぶせ」などように終りに置くべし。下二句の言い様も俗なり。赤賤家這入せばめて物ううる畑のめぐりのほほづきの・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・野袴の法師が旅や春の風陽炎や簣に土をめつる人奈良道や当帰畠の花一木畑打や法三章の札のもと巫女町によき衣すます卯月かな更衣印籠買ひに所化二人床涼み笠著連歌の戻りかな秋立つや白湯香しき施薬院秋立つや何に驚・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうとそれを両手でそろえながらまた教壇に戻りました。「では宿題帳はこの次の土曜日に直して渡しますから、きょう持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦治さんと・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・たらおじさんは大きな大きなまるで僕なんか四人も入るようなマントのぼたんをゆっくりとかけながら、うん、お前は今度はタスカロラのはじに行くことになってるのだな、おれはタスカロラにはあさっての朝着くだろう。戻りにどこかで又あうよ。あんまり乱暴する・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・ ほんま云えば、川窪はんへそな事云うて行かれんわなあ、父はん、 私が、不首尾な戻り様したのやから、あの奥はんもさぞ気まずう思うといでやろから…… でも此家へ来て間もなく、挨拶かたがた詫に行たら、どこぞへ行きなはるところやったが、・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・馬鋤を押して行きつ戻りつする個人耕作の畦が消えたといっしょに、社会主義的な方法で農業生産に従事する労働者の心持が次第に農民の感情に近いものとなって来た。 ソヴェトの土は、初めて、富農のどんよくな手から労働者農民の土地らしい生産的活躍をは・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・さすがの美人が憂に沈でる有様、白そうびが露に悩むとでもいいそうな風情を殿がフト御覧になってからは、優に妙なお容姿に深く思いを寄られて、子爵の御名望にも代られぬ御執心と見えて、行つ戻りつして躊躇っていらっしゃるうちに遂々奥方にと御所望なさった・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・しかし時間を勘定してみてやはり一時間ばかり待たなければならない事がわかると、私の心はまた元へ戻り始めた。「何だ、こんな事で埋め合わせをするのか、畜生め。」私は仕方なく三等待合室へはいって行った。見ると質朴な田舎者らしい老人夫婦や乳飲み児をか・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
出典:青空文庫