・・・彼の妻や子でさえも、彼のこの所作を、やはり荊棘の冠をかぶらせるのと同様、クリストに対する嘲弄だと解釈した。そして往来の人々が、いよいよ面白そうに笑い興じたのは、無理もない話である。――石をも焦がすようなエルサレムの日の光の中に、濛々と立騰る・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・って、錦切れの衣裳をつけた正旦の鼠や、黒い仮面をかぶった浄の鼠が、続々、鬼門道から這い出して来るようになると、そうして、それが、飛んだり跳ねたりしながら、李の唱う曲やその間へはいる白につれて、いろいろ所作をするようになると、見物もさすがに冷・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・も、今時珍らしい黒繻子豆絞りの帯が弛んで、一枚小袖もずるりとした、はだかった胸もとを、きちりと紫の結目で、西行法師――いや、大宅光国という背負方をして、樫であろう、手馴れて研ぎのかかった白木の細い……所作、稽古の棒をついている。とりなりの乱・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・――これだけは工夫した女優の所作で、手には白金が匕首のごとく輝いて、凄艶比類なき風情であった。 さてその鸚鵡を空に翳した。 紫玉のみはった瞳には、確に天際の僻辺に、美女の掌に似た、白山は、白く清く映ったのである。 毛筋ほどの雲も・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・「墨染でも、喜撰でも、所作舞台ではありません、よごれますわ。」「どうも、これは。きれいなその手巾で。」「散っているもみじの方が、きれいです、払っては澄まないような、こんな手巾。」「何色というんだい。お志で、石へ月影まで映して・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・それに気の弱い私ですから、よしんば危いことと気がつきましたところで、とてもあの場合、武とお幸を振りきって逃げて帰るというような思いきった所作は私にはできないのでございました。 その後は私も二晩置きか三晩置きには必ずお幸のもとに通いました・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・なんのことはない、あやつり人形の所作でも見ているような心地がした。私はいぶかしく思いながらその後姿をそれとなく見送り縁台に腰をおろすと、馬場はにやにやうす笑いして言いだした。「信じ切る。そんな姿はやっぱり好いな。あいつがねえ」白馬驕不行・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・凡てその所作は人に見られん為にするなり、即ちその経札を幅ひろくし、衣の総を大きくし、饗宴の上席、会堂の上座、市場にての敬礼、また人にラビと呼ばるることを好む。されど汝らはラビの称を受くな。また、導師の称を受くな。 禍害なるかな、偽善なる・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・この巫女の所作にもどこか我邦の巫女の神おろしのそれに似たところがありはしないかという気がするのである。 ナヴァラナが磯辺で甲斐甲斐しく海獣の料理をする場面も興味の深いものである。そこいらの漁師の神さんが鮪を料理するよりも鮮やかな手ぶりで・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・BからCへ移るときはこれと同じ所作を繰返すに過ぎないのだから、いくら例を長くしても同じ事であります。これは極めて短時間の意識を学者が解剖して吾々に示したものでありますが、この解剖は個人の一分間の意識のみならず、一般社会の集合意識にも、それか・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
出典:青空文庫