・・・ その上、キントンを所望とは。まさか女は誰でも、こんなに食うまい。いや、それとも?行進 キヌ子のアパートは、世田谷方面にあって、朝はれいの、かつぎの商売に出るので、午後二時以後なら、たいていひまだという。田島は、そこへ・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・最も簡略のおかずのつもりで海苔を所望したのだが、しくじった。「無いのよ。」家の者は、間の悪そうな顔をしている。「このごろ海苔は、どこの店にも無いのです。へんですねえ。私は買物は、下手なほうではなかったのですけど、このごろは、肉もおさかな・・・ 太宰治 「新郎」
・・・私は聞いていて、膝がしびれてかなりの苦痛を味い、かぜをひいたような気持になったが、病身の兄は、一向に平気で、さらに所望し、後正夢と蘭蝶を語ってもらい、それがすんでから、皆は応接間のほうに席を移し、その時に兄は、「こんな時代ですから、田舎・・・ 太宰治 「庭」
・・・もっとも私がこの和歌山へ参るようになったのは当初からの計画ではなかったのですが、私の方では近畿地方を所望したので社の方では和歌山をその中へ割り振ってくれたのです。御蔭で私もまだ見ない土地や名所などを捜る便宜を得ましたのは好都合です。そのつい・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・家に遺伝の遺産ある者、又高運にして新に家を成したる者、政府の官吏、会社の役人、学者も医者も寺の和尚も、衣食既に足りて其以上に何等の所望と尋ぬれば、至急の急は則ち性慾を恣にするの一事にして、其方法に陰あり陽あり、幽微なるあり顕明なるあり、所謂・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・明富強は日を期していたすべし、との胸算にてありしが、さて今日にいたりて実際の模様を見るに、教育はなかなかよく行きとどきて字を知る者も多く、一芸一能に達したる専門の学者も少なからずして、まずもって前年の所望はやや達したる姿なれども、これがため・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・殊に我日本国に於ては、古来女性の学問教育を等閑に附して既に其習慣を成したることなれば、今日遽に之を起して遽に高尚の門に入れんとするも、言う可くして行わる可らざるの所望なれば、我輩は今後十年二十年の短日月に多きを求めず、他年の大成は他年の人の・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ ゆえに今、一国の政治上よりして天下の形成を観察したらば、所望に応ぜざるものも、はなはだ多からん。農を勧めんとして農業興らず、工商を導かんとして景気ふるわず、あるいは人心頑冥固陋に偏し、また、あるいは活溌軽躁に流るる等にて、これを見て堪・・・ 福沢諭吉 「政事と教育と分離すべし」
・・・あるいは他の不幸にして男児なき家あれば、養子の所望を待ちてその家を相続し、はじめて一家の主人たるべし。次三男出身の血路は、ただ養子の一方のみなれども、男児なき家の数は少なくして、次三男出生の数は多く、需要供給その平均を得ずして、つねに父兄の・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・人生の所望この外にあるべからず。なんぞ必ずしも区々たる人為の国を分て人為の境界を定むることを須いんや。いわんやその国を分て隣国と境界を争うにおいてをや。いわんや隣の不幸を顧みずして自から利せんとするにおいてをや。いわんやその国に一個の首領を・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
出典:青空文庫