・・・耕吉もこれに励まされて、そのまた翌日、子のない弟夫婦が手許に置きたがった耕太郎を伴れて、郷里へ発ったのであった。三 往来に雪解けの水蒸気の立つ暖かい日の午後、耕吉、老父、耕太郎、久助爺との四人が、久助爺の村に耕吉には恰好の空・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・『幸ちゃん今日はどうかしているよ』とお神さんは言ったが、先生別に返事をしないで立て膝をしながらお神さんの手元をながめていた。お神さんは時田のシャツの破綻を繕っている。 夜食が済むと座敷を取り片付けるので母屋の方は騒いでいたが、それが・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・今手元からずっと現われた竿を見ますと、一目にもわかる実に良いものでしたから、その武士も、思わず竿を握りました。吉は客が竿へ手をかけたのを見ますと、自分の方では持切れませんので、 「放しますよ」といって手を放して終った。竿尻より上の一尺ば・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・る、轢死する、工場の器機に捲込れて死ぬる、鉱坑の瓦斯で窒息して死ぬる、私慾の為めに謀殺される、窮迫の為めに自殺する、今の人間の命の火は、油の尽きて滅するのでなくて、皆な烈風に吹消さるるのである、私は今手許に統計を有たないけれど、病死以外の不・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・殿「いや其の方の手許に置いて宜かろう、授かり物じゃ」 と早々石川様から御家来をもちまして、書面に認め、此の段町奉行所へ訴えました。正直の首に神宿るとの譬で、七兵衞は図らず泥の中から一枚の黄金を獲ましたというお目出度いお話でございます・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・おげんは一日でも多く小さな甥を自分の手許に引留めて、「おばあさんの側が好い」と言って貰いたかったが、退屈した子供をどうすることも出来なかった。三吉は独りでも家の方へ帰れると言って、次の駅まで二里ばかりは汽車にも乗らずに歩いて行こうとした。こ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・貸失して彼の手許にも残っていない。とにかく一冊出て来た。それを買って、やがて相川はその店を出た。雨はポツポツ落ちて来た。家へ帰ってから読むつもりであったのを、その晩は青木という大学生に押掛けられた。割合に蚊の居ない晩で、二人で西瓜を食いなが・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・もし、いま、私の手許に全家族の記念写真でもあったなら、私はこの部屋の床の間に、その写真を飾って置きたいくらいである。人々は、それを見て、きっと、私を羨むだろう。私は、瞬時どんなに得意だろう。私は、その大家族の一人一人に就いて多少の誇張をさえ・・・ 太宰治 「花燭」
・・・は檀一雄の手許にあった。檀一雄はなおも川端氏のところへ持って行ったらいいのだがなぞと主張していた。私は切開した腹部のいたみで、一寸もうごけなかった。そのうちに私は肺をわるくした。意識不明の日がつづいた。医者は責任を持てないと、言っていたと、・・・ 太宰治 「川端康成へ」
・・・ 明治三十五年の夏の末頃逗子鎌倉へ遊びに行ったときのスケッチブックが今手許に残っている。いろいろないたずら書きの中に『明星』ばりの幼稚な感傷的な歌がいくつか並んでいる。こういう歌はもう二度と作れそうもない。当時二十五歳大学の三年生になっ・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
出典:青空文庫