・・・然し当節のように何も彼も一概に綺麗なものや手数のかかったもの無益なものは相成らぬと申してしまった日には、鳳凰なんぞは卵を生む鶏じゃ御座いませんから、いくら出て来たくも出られなかろうじゃ御座いませんか。外のものは兎に角と致して日本一お江戸の名・・・ 太宰治 「三月三十日」
・・・お皿ひとつひとつに、それぞれ、ハムや卵や、パセリや、キャベツ、ほうれんそう、お台所に残って在るもの一切合切、いろとりどりに、美しく配合させて、手際よく並べて出すのであって、手数は要らず、経済だし、ちっとも、おいしくはないけれども、でも食卓は・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・「いや、大した手数でございましたそうです。しかしまあ、万事無事に済みまして結構でございました。すぐに見付かればよろしいのでございますが、もうお落しになってから約八分たっていたそうで、すっかり水を含みまして、沈みかかっていたそうでございます。・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・別に見たくないという格段の理由がある訳でもなんでもないが、またわざわざ手数をして見に行きたいと思う程の特別な衝動に接する機会もなかったために、――云わば、あまり興味のない親類に無沙汰をすると同様な経過で、ついつい今まで折々は出逢いもした機会・・・ 寺田寅彦 「議会の印象」
・・・と人間のそれとのレコードを分析し、比較するだけの手数でいずれとも決定されるからである。 こうした研究の結果いかんによっては、ほととぎすの声を「テッペンカケタカ」と聞いたり、ほおじろのさえずりを「一筆啓上仕候」と聞いたりすることが、うっか・・・ 寺田寅彦 「疑問と空想」
・・・従来の盲探しの手数のかかる方法に代わるに簡単で確実な合理的方法を考案してこれを実地に応用し良好の成績を収めた。現在我邦でおよそ汽船を造っている限りの工場で君の方法の行われていないところはないそうである。これと似た問題としては電気扇の振動や雑・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・ 道太はここにいてほしいような兄の気持は解ったけれど、一つ家に寝起きをしていれば、絶えず接近していなければならないし、人の出入りの多いのに、手数をかけるのも忍びないことであった。それに山でもそうだったように、看護や食べもののことについて・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・私も子供だけれど、百姓の子だから、茄子がこんなに花をつけるまでどんなに手数がかかるかを知っていた。「どうもすみません」 お辞儀しながら、私は犬の方を見た。しかし犬はもうけろりとして、女中さんの足許に脚をなげだして、ものうさそうにそっ・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・一纏めにきちりと片付いている代りには、出すのが臆劫になったり、解くのに手数がかかったりするので、いざという場合には間に合わない事が多い。大抵のイズムはこの点において、実生活上の行為を直接に支配するために作られたる指南車というよりは、吾人の知・・・ 夏目漱石 「イズムの功過」
・・・ この怪物の力で距離が縮まる、時間が縮まる、手数が省ける、すべて義務的の労力が最少低額に切りつめられた上にまた切りつめられてどこまで押して行くか分らないうちに、彼の反対の活力消耗と名づけておいた道楽根性の方もまた自由わがままのできる限り・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
出典:青空文庫