・・・彼等が手本にしていたのは、皆支那人の墨蹟です。しかし彼等の筆先からは、次第に新しい美が生れました。彼等の文字はいつのまにか、王羲之でもなければ 遂良でもない、日本人の文字になり出したのです。しかし我々が勝ったのは、文字ばかりではありません。・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・あそこに君たちの手本がある」と。しかし百の游泳者や千のランナアを眺めたにしろ、忽ち游泳を覚えたり、ランニングに通じたりするものではない。のみならずその游泳者は悉く水を飲んでおり、その又ランナアは一人残らず競技場の土にまみれている。見給え、世・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・あの人は村の若い女のよい手本だ。おとよさんは仕事姿がえいからそれがえいのだ。おらアもう長着で羽織など引っ掛けてぶらぶらするのは大きらいだ。染めぬいた紺の絣に友禅の帯などを惜しげもなくしめてきりっと締まった、あの姿で手のさえるような仕事ぶり、・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・寝転んで東西古今の小説を読み散らし、ころっと忘れてしまった人の方が、新しい文章が書けるのではあるまいか。手本が頭にはいりすぎたり、手元に置いて書いたり、模倣これ努めたりしている人たちが、例えば「殺す」と書けばいいところを、みんな「お殺し」と・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・そしてこのことは、日本の伝統的小説が末期の眼を最高の境地として、近代芸術たる音楽よりも、既に発展の余地を失った古代造型美術を手本にして小説を作っている限り、当然のことである。志賀直哉とその亜流その他の身辺小説作家は一時は「離れて強く人間に即・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・馬の顔を斜に見た処で、無論少年の手には余る画題であるのを、自分はこの一挙に由て是非志村に打勝うという意気込だから一生懸命、学校から宅に帰ると一室に籠って書く、手本を本にして生意気にも実物の写生を試み、幸い自分の宅から一丁ばかり離れた桑園の中・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・』『そら手本サ。』『すっかり忘れていた、失敬失敬、それよりか君に見せたい物があるのだ、』と風呂敷に包んでその下をまた新聞紙で包んである、画板を取り出して、時田に渡した。時田は黙って見ていたが、『どこか見たような所だね、うまくでき・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・彼等の思想や、立場には勿論同感しないが、彼等のペンをとる態度は、僕は、どこまでも、手本として学びたいと心がけている。 愛読した本と、作家は、まだほかに多々あるが紙数の都合でこれだけとする。・・・ 黒島伝治 「愛読した本と作家から」
・・・美術書生を兄に持った末子は、肖像の手本としてよくそういうふうに頼まれる。次郎の画作に余念のなかった時だ。 やがて末子は二階から降りて来た。梯子段の下のところで、ちょっと私に笑って見せた。「きょうは眠くなっちゃった。」「春先だから・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・おしゃれの本能というものは、手本がなくても、おのずから発明するものかも知れません。 ほとんど生れてはじめて都会らしい都会に足を踏みこむのでしたから、少年にとっては一世一代の凝った身なりであったわけです。興奮のあまり、その本州北端の一小都・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
出典:青空文庫